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服への告白。

服への告白

服が好きで彼らに恋をしているとするならば、私はそれに対する溢れんばかりの想いを告白しなければならないだろう。

好奇心とビジュアル

『好奇心とはビジュアルに由来する』これはあくまで想像力が逞しい私的見解に過ぎない。そんな私にとっては、毎日のアウトフィット、つまり自身のビジュアル(服)は間違いなく日々の好奇心に影響している。簡単に言い換えるとするならば、私の日々の活力はその日のコーディネートがキマッたかどうかにかかっているのだ。

絵と服

 私が服に興味を持ち始めたのは、おそらく圧倒的インドア派で生きていた保育園生時代です。しかしその当時、物心なんてもんはあってないようなものでした。なので、薄っぺらい記憶の中に「よくきらきらお目めのツインテール関節なし女の子に洋服を想像で着せて描いてたな~」と自由帳の1ページを思い出しました。この『絵を描くこと』と『服が好きなこと』が繋がるのはまだ先の話です。
 中学、高校での1年の始まりによくある自己紹介のシーン。「好きなことは何ですか」「趣味は何ですか」に対していつも「絵を描くことです」と答えていた自分が容易に思い出せます。幅広く絵を描くことは好きで、得意ではあったけれど、落書き程度の絵を描くときはいつも服ばかり描いていました。もちろん、自身が服に興味を持ち続けていたことに間違いはありませんが、とにかく時間はあってないようなものでした。その理由は明らかで、間違いなく部活に明け暮れていたからです。ジャージと制服だけで生きていました。
 大学、趣味1と趣味2が結びついた瞬間でした。服がやっとのことで「描く」対象から「着る」対象になったのです。一人暮らしを始めクローゼットも大きなタンスもちろん自分のモノ。さらには、バイトを始め、自分が自由に使えるお金も少しばかり手にしました。私の性格上、人に見られないことは良くも悪くもリミッター解除という結果になる訳です。つまり、服、服、服、服……服にとり憑かれた日々が始まったのです。

中学生で描いてた目が怖い女の子たち

戻りたくない系統(失敗例)

勿論、沢山の服に触れてきた私には、沢山の失敗がつきものでした。大学生初期の私はいわゆる「淡色女子」を必死に目指しました。タンスの中には白とトーンの違う茶色で溢れ、中にはガーリーという言葉がぴったりのシャツや裾にフリフリをあしらったパンツなんかも取り揃えておりました。今となっては戻りたくない系統で、自分の性格と自分の体形、骨格をフルシカトした系統でした。他にも、着てみて思い知らされた似合わないジャンルは沢山あります。フレアパンツ、シースルー系、ベスト、ペラペラ生地全般、フード付きアイテム、カーディガン…などなど。買って、着てみて、納得いかなくて、友達や友達の妹や友達のお母さんの手に渡ったこともしばしば。(友よありがとな)失敗から学ぶってこういうことか…しかしそれでも学ばない私。ベストを諦めきれずまた手にしたこともあります。失敗したいだけやん。

でも皆さんもありますよね?黒歴史に近いファッションナンセンス時代。

目指せ淡色女子だった過去

あれ?何を参考にしてるっけ?

沢山の失敗をしながら、いつからか的というか道というか系統というか(知らんけど)何かが絞られてきて、どんどん今の自分のスタイルに近づいてきました。そんな私って、何を参考に毎日の服を組んでいるっけ?とふと疑問に思いました。雑誌なんかは全く読まないし。服の歴史なんてものはもってのほか。(だから、服の知識すごい人尊敬する。)強いて言うなら、インスタは1つの資料集的なものかもしれません。ビビッときたコーデは思わずスクショ、保存します。
 しかし、1番参考にしたものと言われれば、それは「街ゆく人」と「何でもないモノ」だったりします。エレベーターで一緒になった人、トイレの鏡で隣に並んだ人、店内をうろついているお客さん、たまには中田舎の地元のおばちゃんの作業着だったり。コーデが良いというよりも、「なんかこの感じがいい!」的な。あとは服とは結び付けようのないモノたちもたまにアイデアをくれます。ソファとクッションの色の相性が良ければピンときますし、地元の自然を見てると、川の苔の色味が良いななんてことも。色のあれこれを考えることが結構多いかもしれません。
 常にこんなこと考えながら生きてる危険人物ではないことだけ主張させて下さい。あくまでピンとくる瞬間だけこんなことを考えています。ピンとくるで思い出したのですが、特定のアイテムに目星をつけて買いに行くというより、ピンとくる服を見つけに行くのが私流です。それが靴下であることもシャツであることもスカートであることもあり得るので、自分さえも予想できないアイテムが増えていきます。ピンとくる瞬間は頭の中にぽんっ!!とコーデが浮かびます。(もうそろそろ、「服界のガリレオや~」って彦摩呂が言ってきそうですね(笑?))

アメリカでの服事情

 私は20歳でアメリカ留学に挑戦しました。長期留学のため、服は悩みの種でした。日本にあるほぼ全ての服を送ってもらい、母からは「新しい服は買わず、使い古してきなさい」と釘を刺されました。初めは、私はその教えに従順でした。1か月毎日違うコーデチャレンジなんかを自己流で始めて、インスタストーリーに欠かさず投稿して、今ある服で十分満足していました。しかし、徐々に内にある服欲が溢れて零れました。買いもしないのに通販でカートに入れるまでを何度も繰り返し、ここまで届きもしないゾゾタウンを漁り、我ながら奇行に走ってました。そんな時に見つけた地域の古着屋さんは、まるでヤニ切れの時の至福の一服のような感じでした。(タバコは吸ったことありませんが、千鳥の大悟や見取り図の盛山が言ってたのでこんな感じかなと例えてみました)
 そんなこんなで、今ある服と新しく手に入れた古着と上手く付き合いながら、たまにとびぬけたアメリカ産のおしゃれさんに影響を受け、代わり映えのない毎日に服で喝を入れております。

1ヶ月 毎日違う服を着た

いよいよ服への告白です。緊張。。。はしておりません。

服へ

いつも私の毎日にやる気を与えてくれてありがとう。自己流でしかない私をいつも受け止めてくれる君。色があって、形があって、それらが組み合わさって、そのひとつひとつが私の毎日の一部になってます。一生好きです。 

追伸 いつも食べ物こぼしてすみません


はあ、服って素敵!!!!服好き集まれ!!!


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