見出し画像

あの日のひまわり

 私が植物に関心を持つようになったのは、コロナ禍に入ってからのこと。外出を控えるようになり、もっとおうち時間を楽しめるようにしたいと思ったのがきっかけだ。でも、飽きっぽい私に植物なんて育てられるのだろうか?乾燥に強いサボテンですらうまく育てられずに枯らしてしまう、という人も世の中にはたくさんいるらしい。自分もそうなのでは?自信のなかった私は、母に話を聞いてみることにした。

 母は実家の庭でレモンやユーカリ、金柑などの木を始め、チューリップやバラ、パンジー、いちご、シュガーバインなど種類を問わずたくさんの植物を育てている。コロナの波が少し落ち着いた時期、所用があったので息子を連れて久しぶりに実家に顔を出した。
 「良いで植物は。癒される。水さえあげとけば勝手に大きなるよ」
 「そんなもんかな?初心者やし最初はそれぐらい強い種類のものが良いなとは思ってるけど」
 「そやなあ。これなんか強いし育てやすいんちゃうか」
 言い終わらないうちに、母はそのへんに生えていたツル性の植物を引っこ抜き、「ほれ」と根ごと渡してきた。いやちょっと待て。「ほれ」ではない。
 その日、私はビニール袋を握りしめて帰宅した。中には土まみれの根をつけたツルが何本か入っている。おしゃれな人がおしゃれな感じで育てているという植物に対する私のステキなイメージを、簡単に払拭してしまう母なのであった。
 それでも、そんな母が手入れした庭に季節ごと癒されてきた。カエルの置物のそばで鮮やかに咲いた可愛らしいチューリップに春を感じ、コタツに潜りながら庭で採れたきんかんを頬張り冬を味わう。時には蝶々、時には蜂、時にはメジロが庭を訪問し、やんちゃ盛りの甥が花壇の隅でヤモリのしっぽを捕まえる。

 母が育ててきた植物たちのなかで、最も印象的だったのはひまわりだ。
 息子を産んだ数年前の7月。産院から里帰り先の実家に帰った私を真っ先に出迎えてくれたのは、庭に並んだ大輪のひまわりだった。真夏の暑さの中で太陽に負けじと輝き、元気な黄色の花弁を広げている。息子の誕生を祝福するような、不安でいっぱいの私の背中を叩くような。眩しいほど明るく、堂々たる立ち姿だった。
 「ほら、ひまわりだよ」
 産まれて初めて外に出た、ふにゃふにゃの息子に話しかけた。ひまわりはちょうど私と同じくらいの背丈だ。まだ目の開かない息子にも、かすかな夏の香りくらいは感じられただろうか。私はこれから先、ひまわりを見るたびに今日の照りつける日差しとまっさらな気持ちを思い出すだろうと思った。

 舞う桜を晴れやかな気持ちで眺め、新緑から漏れる太陽の光に目を細め、落ち葉を踏みしめながら初冬の張った空気を胸に入れ、季節を歩いてきた。私が関心を持つずっと前から、植物は粛然と私の生活を彩っていたのだ。
 今や、私は少しの時間さえあればお花屋さんに足を向けるようになった。母の大輪のひまわりほど心に染み入る何かはなくとも、忙しない日常のなかで深呼吸を促してくれるような葉や花との出会いがあるかもしれない。そこにあるだけで心の止まり木になってくれるような、そこにあるだけでときめきのスイッチを優しく押してくれるような、気持ちを小さく動かしてくれる植物との出会いを予感してしまうのだ。
 触れ合うたび、私は植物が大好きになる。今度のお休みには、一度あなたもお花屋さんをのぞいてみませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?