【時間が存在しないことを"意識"というワードだけで説明する】"101"関連記事Part2.

前回は17と26、101の繋がりをONE PIECEや呪術廻戦、
デイヴィット・ロックフェラーなどと絡めて紹介した。

今回はその続きで、一般には存在するとされている「時間」が
実は存在しないことを、目に見えない世界の説明も踏まえながら紹介する。

その過程で、潜在意識や引き寄せの法則などでも触れられる、
"あなたが人生で経験する出来事が顕われる(変わる)場合"
「どのような過程を経て」顕現するのかを「0~9までの数字」を
用いながら解説していく。

そしてその中でも今回は「5と6」という数字に重きを置き、
時間(間接的には空間も)の非存在について解説する。

今回は前半だけ少し難しい話を展開する。

前回ほど漫画に絡めた考察はしないが、次の記事や、これから出していく
記事にも繋がる内容を書いていくので、ぜひ読んで頂ければ幸いだ。



宇宙があらゆるものを調理する
「0~9」までの"レシピ"


さて、これからする話は、読み進めていく上で、
「なぜこんな話をしているのか?」と思うことだろう。

ただこれらの話は、あなたが叶えたい願いやあなたが望む人生、
果ては世界を変えるために必要な「原理」の一端を紹介するものでもある。

ぜひそのつもりで、あなたの人生観の何かに
"活かす"つもりで読んで頂きたい。

さて、まず最初に、今回の話の中心となる
"5と6"についての個人的な考えを書いておく。

現時点での考察にはなるが、この5と6は

"5"【この宇宙における"生命"の誕生】
"6"
【生命が"何か"に対して意識を向けること】

を表していると考えている。
(これは象徴というよりも、"解釈"に近い)

これは、この宇宙に「あらゆる生命と現象」が生まれる際、

それらの生命や現象がどのような過程を経て生まれ、場合によっては
私達の目の前に顕われるのか?  を考えた際の、一つの過程を
考察したものであり、その転換点となる数字2つだ。

この5と6はセットであり、切っても切り離すことはできない。

さらに言えば、この"5と6"を「境」にして
0~9までの数字の捉えるべき見方が変わる。

ではその0~9までの数字が持つ意味についての、
私の考えを紹介しておく。

以下だ。

0.無(意識)
1.二元性の創造
2.有が誕生する「場」の創造
3.有の元(氣)
4.有の「形状と質」の決定と変化
5.意識を備えた生命の誕生
6.生命が「何か」に対して意識を向けた状態
7.生命が意識を向けたことで生まれる「可能性」
8.複数の可能性の選択
9.複数の可能性を裁断(取捨選択)
(10.裁断された可能性が「確率」の段階に移行)

この宇宙に生命が生まれ、その生命が何かしらに変化するまでを
一つの「過程」として考えた時、上記の0~9まででワンセットとなる。
10は段階が異なる(桁が一つ上がる)ため、かっこ閉じで書いている。

これらの0~9までの過程は、それら誕生と変化を大まかに分けて考え、
一つの例として書いたものであり、本質的な意味で、この過程通りに
生まれるわけでもなければ、過程が10個しか存在しないわけでもないと
考えている。
(実際にはもっと細分化でき、数字も多いはずという意味だ)

ただ、あくまでわかりやすく、大雑把に
「あなたが人生で経験する出来事が顕われるまで」
考えた場合に、おおよそこのような過程を経るのではないか、
という考察の例である。

そのため、実際にはもっと細分化 & 明確化できる可能性を留めつつも、
この記事ではこの過程の順と数字を軸に置いて解説していく。

ちなみに、この「0~9まででワンセット」というのは、
その「過程の内容」は置いといて、数字としては
全ての物事に共通するものでもある。

(つまり上の過程以外にも"0~9までの数字で表せるもの"が多くある)

もっと言えば、それぞれを【0、1~8、9】と分けて
考えることもできるが、それは一旦置いておこう。

※なお、こちらの本でも0~9までの数字の意味について解説されている。
私が最初に出した0~9までの過程は、この本に書かれてある内容を
自分なりに考察 & アレンジしたものである。

興味のある人は読んでみてほしい。
(アフィリエイトリンクではない)


この宇宙で生まれる物事には【生命の誕生】【現象の創造】
2種類があると考えており、これらは同じ枠組みの"表と裏"に当たる。

その中で、上記の過程はそれら2つのどちらにも一応、焦点を当てており、
この2つが切り替わる時点(境)こそが"5と6"である。

というのは、5までは【生命が誕生】するまでの過程だが、6から先は、
誕生した生命が【現象を創造(変化)】するまでの過程になるからだ。

つまり上記の過程は、大きく見た場合の
【生命の誕生寄り】のものであり、それとはまた別で
【現象の創造寄り】の過程も存在していると考えている。

ここが少し難しい所であり、1つの生命が誕生するまでには
「5までの過程」を経る必要があるが、その生命が現象として
何らかの形に変化し、完成するまでには「6~19までの過程」を
経る必要があると考えている。

("1~5"までは私たちが操作できない「絶対的」な領域だが、
 "6~19"までは私たち次第で変化する「相対的」な領域だ。)

この【生命の誕生】と【現象の創造】を
さらに別の言葉に換言するとすれば、

【誕生】【可能性】、そして【確率】【変化】だ。

この宇宙に何かが生まれる時、それは
この4つの順通りの進行を経るものだと思ってほしい。

生命の誕生は置いといて、物事の変化には以降3つの段階を
通過しなければならず、しかもまず通過するべきは
「可能性」の扉でなければならない。

これは確率の領域に入るためには確率が変化する
「元」が存在しなければならないためである。
(「何の確率が増減するのか?」の"何の"の部分だ)

【生命の誕生(行為ではなく現象)】は絶対的なものだが、
その生命が何かに意識を向けることにより「可能性」が生まれ、
その可能性が「確率」によって裁断され、【変化】として顕われる。
"生む"が先であり、"変化"は「生む」の従者でなければならない)

ただ、このうち「確率」と「変化」は"10"以降の過程に存在する
要素であると考えているため、今回はあまり考えなくて良い。

今回の記事で解説するのは「生命」「意識」
そしてそれに伴う「可能性」だ。


ということで、最初から難しい話をして申し訳ないが、
ではここから今回の本題である"5と6"の話に移っていこう。


生命と現象の「境」となる"5と6"


"5"【この宇宙における"意識を備えた生命"の誕生】
"6"
【生命が"何か"に対して意識を向けた状態】

と最初に記したが、この数字2つには、それが境であり
重要な数字であることを示しているものがある。

"人体"だ。

ここは別に深く触れるつもりはないので軽く紹介するが、
例えば人間の身体は両腕両足、そこに胴体を足して"五つ"だ。

「五体満足」という言葉にもそれが表れている。

ただ実際には、そこに「頭」も足せば"六体"になる。

※ 元々「五体満足」という言葉自体、"五体"の部分に明確な定義が無い。
説によって「五体」に相当する箇所かしょは様々であり、元々"五"が「全て」を
意味する数字であることから、全身を表すようになったとされる。

実際には六体だが、「五体」として表現されること。

また同じく人間の身体を表すものとして「五臓六腑」という言葉もある。

これらは"5と6が境"であることを表す一端だが、
このような例はまだまだ他にも存在する。
(漫画の中にも表れている他の例についてはPart4の記事で紹介する)

その上でこれら3つの数字のうち、
"5"は理解も解説も簡単なので、
こちらの数字から見ていこう。

"5"「"意識を備えた生命"の誕生」と記したが、これは
「生命がそこに存在する」ことを意味するものでもある。

例えばあなたを例に説明すると、あなたがこの宇宙に生まれ、
そこに存在している状態を表すものだ。

これは"4"が「生命の、肉体を含めた身体の形」が形成された状態を
表すものであることから、そこに「意識」を加えた状態を"5"
表現できるからである。(この場合、意識は"0"で表される)

あなたが肉体と意識を持って
この世に存在しているだけで"5"に至っている。

非常に簡単だと思う。

ではそれを前提にした上で次に
"6"【生命が"何か"に対して意識を向けた状態】の話に移ると、

これは5によって生命がただ存在しているだけでなく、
その生命が「何か」に対して意識を向けた状態を指す
(そのまんまだが)

そしてこの場合、意識を向けたことで
何らかの「可能性」が生まれるのだが、この状態は

"7"【生命が意識を向けたことで生まれる"可能性"】

に該当する。

私達が経験するあらゆる現象が顕現するまでには複数の壁(段階)が
あるが、その中でもそれらの現象の"種"は「可能性」であると考え、
この可能性が、良いも悪いも含めたあらゆる現象の元になっている。

そしてその可能性は「生命が何かに意識を向ける(6)」ことで生まれる。

つまり"意識"を向けることで"可能性"が生まれ、その可能性から
「あらゆる現象」が生まれているのではないか?  ということだ。

基本的にこのような場合の数字は、
その数が小さいほど、その意味や価値の重要性が増す。

3つの数字で言えば7よりも6、6よりも5の方がより重要となる。

ちなみに、少し余談だが、この記事を出す前々日(2024年4月5日)の
時点では、この"6"に関して「意識を向けること」ではなく
「可能性を顕現させる仕組み」と書いていた。

しかし直前になって「やはり違うのではないか?」という
疑問が起こり、前日の6日になって全てを書き換えた。

ここでは一応、5日時点での「0~9までの過程」も記しておく。

0.無(意識)
1.二元性の創造
2.有が誕生する「場」の創造
3.有の元(氣)
4.有の「形状と質」の決定と変化
5.意識を備えた生命の誕生
6.「可能性」を顕現させる仕組み
7.生命が意識を向けることで生まれる「可能性」
8.複数の可能性の選択
9.複数の可能性を裁断(取捨選択)
(10.裁断された可能性が「確率」の段階に移行)

これは先ほどの過程と比べて、「6」の部分だけが変わっている。

ここで「意識を向ける」ではなく「仕組み」と書いたのは、
単に意識を向けただけで各々の人生に現象が顕われるのではなく、

意識を向けたものを「"可能性"という形に変える仕組み」が
存在するのではないか?  と考えたからだ。

そしてその"仕組み"には、

「生命を誕生させる仕組み」と
「可能性を創り出す仕組み」の2種類があると考え、

「生命を誕生させる仕組み」は"0"の中に、
「可能性を創り出す仕組み」は"6"であるとこの時は考えたが、

その2つの仕組みはどちらも"0"の中に存在する、
「同じ仕組みの、異なる2つの側面」なのではないか?と思い、
"6"を今解説している「意識を向けた状態」に変えた。

そしてこれらの過程は、生活の身近なものにも例えることができる。


なぜ"料理"に例えたのか?


例えば食事をしたいと思ってレストランに向かい、
そこで食事を"オーダー"するまでの過程などにも例えられる。

このような場合では、「お客さん」という存在がまずおり、そのお客が
食事をしたいと思うところから、どのジャンル(和食や中華など)の
食事をしたいのかを決める。

そして実際に決めたジャンルの品を提供するご飯屋またはレストランに
向かい、そこで数あるメニューに目を通した後、どの品にするかを選び、
それを注文する。

そしてしばらく時間が経ったら、実際に注文した通りの食事が届く

この一連の流れは、5~10までのプロセスを見事に表している。
この場合、例えられるのは"6"から先であり、

6は、お客が、食べる料理の"ジャンル"を決めて、お店に向かっている段階
7は、そのジャンルを提供する"料理店に入った"段階。
8は、そのお店に連なっている"たくさんのメニュー"であり、
9は、それらのメニューの中から一つを選び、"注文する"行為。
10は、注文したメニューが実際に提供された状態である。

おおよそこのようなイメージだ。

この過程では大雑把に分かりやすく捉えてもらうために、"10"で料理が
提供される形に書いているが、実際には10で提供されるわけではない。

先ほども書いた通り、「6~19」までが「確率と変化」の過程として
存在するため、上の例であれば、"10"からは実際の調理の段階に入る。

そのため本当の意味で料理が完成するのは"19"であり、その完成した料理が
「完成品として私たちの目の前に顕われる」(料理が提供される)のは
"20"である。

この場合の「20」とは、位が一つ上がることで料理がお客に提供される
「次の段階」に入ったことを表している。(完成はあくまで"19"だ)

先ほど「0~9まででワンセット」と書いたが、
その際に「0、1~8、9に分けることもできる」と書いた。

この場合の"0"とは、そのご飯屋及びレストランの"料理人"に例えられる。
(ホールは"1"だ)

つまり"料理人"とは「0」の象徴でもある。

ちなみに、「ホールとキッチン」という呼び方をした場合の"ホール"は、
その語源が印欧祖語の【"kel"(覆う・隠す)】という語なのだが、
この語は「オカルト(occult=神秘的な)」という言葉などの
語源にもなっており、非常に重要な意味を持つ。

ルルシア王国跡地に出来た巨大なホール(Hole=穴)
"ホール"(穴)と"フォール"(落下)のダブルミーニング。
「料理人」であり"フォール"(Fall)の象徴でもある
"落下の悪魔"
"堕天使"ルシファー

しかし、Fallは"落下"という意味以外にも、"秋"という意味もある。
この"秋"という単語を、あなたは覚えておかなければならない。

秋には"落葉樹"である紅葉が映えるが、意味は分からなくても良いので、
【"秋には落ちる"】ことを、あなたには覚えておいてほしいのだ。

さて、少し話が脱線した。

つまり「料理屋」という日常に存在するものでも、
宇宙の真理と数字に例えることができるということを
伝えたかったのだが、今回は"5と6"の解説だったので
そちらの話に戻ろう。


私達が未来に進んでいるのか?
それとも未来に私たちが「招かれて」いるのか?


"5"【この宇宙における"意識を備えた生命"の誕生】
"6"
【生命が"何か"に対して意識を向けた状態】

と伝えたが、先ほど書いた"料理を受け取るまでの過程(特に6~9)"は、
「未来を生む」場合にも当てはまる。

あなたは「未来」という概念に対してどう思っているだろうか?

通常、未来というのは「勝手にやってくるもの」または
「何が起こるか分からないもの」という認識である場合が多いと思う。

ただ、人類の大半が考えるその認識は、実際には"間違い"であり、
未来は意図して変えられるものと言える。

これはポジティブな言葉としてではなく、
「真理」という角度から見た場合にそう言える。

この宇宙は完全に統一され、秩序がある世界であり、
この秩序から外れた世界、および生命は存在しない。

時に「秩序がある」と言うと、
「この世界では悪がはびこっているのだから秩序はない」と
思われるかもしれないが、根本的な話、"秩序がある状態"
というものは、善や悪という認識とは全く別の概念である。

秩序が"ある"というのは、
「"存在が、別の存在のために役割と機能を与えられて、そこに存在する"」
状態を表すのであり、役割と機能を与える"元"のことも同時に指している。

これらをもっと簡潔に言えば、

「必要だから顕われた」または
「望んでいるから顕われた」または
「喜びたいから存在する」状態を指すのであるため、

そこに善悪を混ぜるのは人間の主観に過ぎない。

「悪のように見えるもの」も何らかに必要だから顕われているのであり、
裏から言えば、善だけでなく"悪"も、秩序を保つためには必要ということだ
(これは"悪を無くせば善も無くなる"ことにも繋がってくる)

その上で、必要だから、または望んでいるから顕われるものが「未来」で
あり、ではその未来を生むために必要な要因は何かと考えた時に

"意識"を備えた生命(5)"何か"に対して意識を向けること(6)
向けた意識を元に生まれる"可能性"(7)
が重要になるのである。

"意識の関わりがない未来"が顕われることはない。(過去も同様だ)

自分に訪れる「未来」には必ず、何かしら
自分が「過去に向けた意識の方向性」が関わっている。

逆に言えば、意識の方向性次第で
未来を変えることは出来るということでもある。

これは単なる妄言ではなくしっかりと【"原理"】が存在しており、
その原理に基づいて考えた時には"どんな人でも最終的には"その結論に至る
(原理がある以上、最終的にそこに至るのは当たり前とも言えるが)

だがその原理を知るにはまず"信じられるか否か"の壁があり、
信じられたとしても次に"その知識を深められるか否か"
そして最後に"それらの知識を用いて行動に移せるか"の、
少なくとも三段階の壁があるために、なかなかそれらの原理が
世間には知られていない。

しかし、それでも今の時代は「潜在意識」や「量子力学」など、
原理の一端を間接的に示す分野が発達してきているために、
一般の人にも少しずつ知られてくるようになった。

古代や中世の人間たちも、その原理と重要性を熟考の末に知っており、
それを様々な形で象徴として表し、残している。

中央の三角形の中にある"水星"のシンボルマークは
まさにその原理の象徴だ
こちらでも同じく水星が最上部に据えられている

ただ、今回はこの"原理"の部分については解説しない。

が、今回の記事があなたにとって
"この世界の事象や現象が、ただ何となく発生しているのではない"
ことに気付くきっかけになってもらいたいと思っている。

さて、通常「過去」は変えられないが「未来」は変えらえれると
一般的には言われており、その逆を提唱する者もいるが、
実際には"過去も未来も変えられる"


時計は"時間"ではなく、「時計」に過ぎない


この、未来だけではなく「過去も変えられる」という部分に、
今回の記事の本質と、【"意識の絶対的な価値"】を見出すことができる。

"時間"とは一般的には、「過去から未来へ流れるもの」と認識されている。

しかし、本当にそうだろうか?

かの哲学者アリストテレスは、"時間"という存在について、
自身が研究した「自然学」で、"前後に関する運動の数"と定義した。

この場合の"前後に関する"とは、今(現在)を含めた過去と未来であり、
"運動"とは、言い換えれば「動き(変化)」のことだ。

つまりアリストテレスは時間という概念を
"過去・現在・未来でどれだけ動いた(変化した)かを表す数"
と定義したのである。

この場合の"数"とは「2」などの数字ではなく、「リンゴとリンゴ」などの、
「数字としての数ではないが、数えられ得るものとしての数」である。
(と、個人的には解釈している。)

現代では時間は「存在するもの」として認識されているが、実際は、
時間に関するもので真に「存在している」と言えるのは"時計"のみである。

なぜなら、「時間そのもの」は物理的には存在していないし、
時間を表す材料となっている「数字」も、あくまで数字であり、
真の意味で、"時間を構成するため"に存在しているものではない。
数字を使って"時間を表現している"に過ぎない。

※数字は"形と色"と切り離す事の出来ないものであることを一応書いておく

そうなると、時間に関するもので
真に「存在している」と言えるのは"時計"のみとなる。

同じく、アリストテレスは時間という概念をある種、
「存在しているが存在していないもの」と認識していたと
考えているが、この解釈のままで行けば"現在・過去・未来"は全て、
本質的には存在しないと言える。

しかし、この世が
「有から無が生まれる」のではなく
「無から有が生まれる」世界である以上、
「存在しないがゆえに存在する」とも言える。

そして、これと同じようなことが書かれている本がある。

日月神示と大日月地神示だ。
以下、それぞれの本から該当箇所を引用する。

時間、空間もあるのであるが、ないのであるぞ。
同じ状態にあれば同じ処に住み、変化すれば別の所に住むのであるぞ。
見ようと思えば、念の中に出て来て、見ること、語ること出来るのじゃ。
見まいとすれば見えんのじゃ。自分で見、自分で語るのじゃぞ。

時、所、位、総てが想念の中、想念のままに現われて来るのであるぞ。
わかるように申すならば、時間も空間も映像であって、
情態が変わるのみのことであるぞ。情態のもと、本質は限りないから、
無限であるから、自由であるから、霊界は無限、絶対、自由自在であるぞ。

現界では時間に順に得たものでも、心の中では時間に関係なく、
距離に関係なく、一所へ並べられるであろうがな。
心の世界で、時間、空間のない道理、これでよくわかるであろうがな。
ー 白金の巻第7帖

霊界には時間、空間は無いと申しているが、無いのでないぞ。
違って現われるから無いのと同様であるぞ。あるのであるぞ。
ー 黄金の巻第73帖

人民が絶対無と申しているところも、絶対無ではない。
科学を更に浄化弥栄させねばならん。
空間、時間が霊界にないのではない。
その標準が違うから無いと考えてよいのである。
ー 月光の巻第7帖

地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、
神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。
神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。
ー 星座の巻第3帖

今が過去で、今が未来ぞ。時間にふみ迷うなよ。
空間に心ふみ迷うでないぞ。皮一枚ぬいで心でよく考えなされ。
ー 白金の巻第2帖

日月神示

物質の世界は、変化が遅い世界でありますのじゃ。
ゆえにじっくりと観て学べますのじゃ。
じゃが、いずれは必ず変わる世界でもありますのぞ。
変わらぬのでないぞ。変わるのであるぞ。
時間の有る世界と時間の無い世界がありますのじゃ。
時間の無い世界は、瞬間で変わる世界でありますのぞ。

大日月地神示

つまり「時間と空間」は本質的には存在せず、
"状態の変化"を別の言い方で表現したに過ぎない。

そしてこのことは、霊能力者であり、あの哲学者カントやゲーテ、
ドストエフスキー、ヘレンケラーなどの人物から高い評価を受けた
偉大な神秘家である"エマヌエル・スヴェーデンボルグ"も、自身の著書、
「天界の秘儀」において次のように記している。

人が本質的であると考えている2つの要素がある。
それが本質的であると考えられているのは、
その2つが自然界にふさわしいものであることが理由である。

その2つとは空間と時間である。

~中略~

しかし、あの世には空間も時間もなく、
その代わりに状態のみがあるということに
"たましい"が気づくまでに、長い時間はかからない。

そして、あの世における状態は自然界の空間と時間にあたり、
空間には「存在(esse)」に関する状態が対応し、そして
時間には「出現(existere)」に関する状態が対応するということに
"たましい"が気づくのにも、長い時間はかからない。

天界の秘儀

異なる時代の異なる国であるにもかかわらず、同様のことが書かれている。

つまり時間の真実とは

"時間によって「変化」しているのではなく、
 変化が遅いために「時間」という概念を感じている"

ということであり、これはつまり、私達が概念として感じている、
真の意味での「時間(空間)」は"本質的には存在しない"ということだ。
(上の根拠に従えば、その"変化が一瞬で訪れるのがあの世"ということだ)

時間と空間とは、"状態の変化"を言い換えただけの言わば「例え」であり、時間を「在ると捉えた場合」に"時間と空間"という「呼称」になる。
(なおこれは中世において秘密結社と呼ばれた"バラ十字会"が提唱している
 内容でもあり、この会のなかでは「時間と空間の非存在」について
 さらに詳しく解説される。)

そして重要なのは、この"状態の変化"をもっとわかりやすくするために
あえて、"時間"、その中でも「過去・現在・未来」という呼称(例え)を
用いるのならば、先の根拠に書かれているように、靈界(あの世)では
"現在(状態)"だけが存在し、過去と未来は存在しない。

これを身近なものに例えると
「物語性(連続性)のないパラパラ漫画」のようなものであり、

"いきなり大金を手にしたと思ったら次の瞬間には隣に恋人がおり、
  そのさらに次の瞬間にはなぜか江戸時代に戻っている"
というような、

これはあくまで例えだが、過去と未来の繋がりが無いのが靈界だ。

そしてこれは現界(物質界)でも本質的には変わらず、
現界においても現在だけが存在し、過去と未来は存在しない。

ただ、これは別の言い方をすれば、
本質的に本当に、過去と未来が存在しないのではなく、
"過去と未来が、現在の中に含まれている"ということである。


時間が進むのではなく"状態"が変化する。
時間の本質は、過去と"未来"の「記憶」?


一般的には現在と未来は変えられても、"過去"は変えられないとされている

しかし、本当にそうなのだろうか?

実は、その理解の助けとなる記述が、先ほども根拠として提示した
「大日月地神示」と、さらにもう一つ「エイブラハムの引き寄せの法則」
と呼ばれる本にも、それらのヒントとなり得ることが書かれている。

時の扉開き自在に行き来するお人おるのぞ。
他の宇宙、銀河のお人であり、未来のお人でもありますぞ。

時間は有るが無いのであるのぞ。

異次元世界と申せ、過去の靈人ばかりと思い込んでおりては、
ちんぷんかんぷん取り違いとなるから、正しく理解せねばならんぞ。

未来の自分、話しかけてくることありますぞ。
遠い過去の自分の思いの影響を受けることありますぞ。

過去現在未来は、一線上であり可能性と歪みと因果の仕組みじゃ。

望むこと顕れるのは、因果ぞ、
望まぬこと顕れるのも、因果ぞ。
それぞれの因果の種類ありますぞ。

いずれも強い要因が顕在化するのであるから、
何をどれほど望むのかが未来を決めるのぞ。

大日月地神示 第六十四

みなさんが「法則」と呼ぶものはたくさんあります。でも、
わたしたちが言う「法則」は、常に「宇宙」の法則を示しています。

みなさんがこの物質世界の次元に来るときに、
いくつかの取り決めをしています。

時間、重力、空間の取り決めです。

しかし、これは「宇宙」の法則ではありません。
こうしたものが適用されない別の次元があるからです。


みなさんが「法則」と呼んでいるものも、
多くの場合、わたしたちはそれを「取り決め」と呼んでいます。

新訳:引き寄せの法則『エイブラハムとの対話』

あなたは、いつも思考を巡らせているので、
過去、現在、未来を切り離すことはできません。

この3つは、同じ1つのラインに存在しているからです。
連続した思考によって、すべて結びついています。

新訳:引き寄せの法則『エイブラハムとの対話』

つまり、

私達は"現在"においてのみ存在する(5)が、
その現在の上で向ける意識の方向性(6)と、
それによって生まれる"可能性"(7)によって、

【過去と未来を変えられる】ということだ。

そして、ここまでの話の信憑性を後押しするように、最近、
量子力学の分野においてこのような研究結果が発表された。

イギリス・ケンブリッジ大学の研究チームが、「量子もつれ」と呼ばれる
現象を利用することで、量子力学の世界において、25%の確率で過去に
起こった事象を未来で変えることができるシミュレーションに成功した

発表しました。

量子もつれでは現実世界のように
「ある事象の原因が最終的な結果を導く」だけでなく
「事象の結果がその原因に干渉する」といった
常識では考えられないような挙動が見られる場合があるとのこと。

今回、ケンブリッジ大学のニコール・ハルパーン氏らの研究チームは、
2つの粒子のもつれをシミュレーションし、量子もつれが持つ
曖昧さについて検討を行いました。

最終的に研究チームは約25%の確率で、未来で行った観測によって、
過去の測定結果を変更させるような、過去の書き換えに成功しました。

そのため、研究チームは
「過去に起こった出来事を未来で変更することは、
 物理学の法則に違反していない」
と結論付けています。

シュクル氏は
「ある人にプレゼントを贈りたいものの、相手の手元に届くには3日かかる
 場合、確実に3日後に届けるためには必ず1日目に発送する必要が
 あります。そのため、相手が欲しいもののリストを2日目に公開すると、
 贈ったプレゼントが本当に相手が望む物ではなくても変更することは
 できません。しかし、今回のような量子もつれの仕組みを用いると、
 計算上、約25%の確率ですでに送付したはずのプレゼントの中身が
 変更できるようになります」と述べています。

https://gigazine.net/news/20231030-backward-time-travel-successfully/

「過去に起こった出来事を未来で変更することは、
 物理学の法則に違反していない」の"未来"とは、

「過去の立場に立った場合の未来」つまりは
"現在と未来の2つ"を指していると解釈できる。

そのため、未来によって過去が変わるということは、
【"過去と現在と未来は一つ"】である可能性を、
この研究結果は間接的に示している。

そうでなければ、未来の行いによって過去が変わることはあり得ないし、
その逆(過去から現在の行いによって「未来が変わる」こと)もまた、
あり得ないからだ。

私達は自分の過去の行いにより積み上げられた現在を生きているが、
それを「変化」させ、「まるで最初からそうだった」かのように
現在とは全く別の人生を、現在から歩むことも可能なのである。

(※ ただこの場合の"過去"とは「他者から観測される場合の過去」であり、
自分の過去の「記憶」が書き換わるわけではない可能性が高いことを、
一応付け加えておく。)

よく不思議な話などで

「子供の頃に遊んでいた○○ちゃんの存在を、親含め
 自分以外誰も覚えていない」という話があるが、

これはおそらくこの辺の法則が関わっているのではないか?と考えている。

『すずめの戸締り』。草太が"常世"の説明において
「全ての時間が同時にある場所」と語るシーン

今から2000年以上も前に存在した哲学者・アリストテレスが言った
「時間は存在しない」(直接そう言ったわけではないが)という考え方は、
中世の偉大な神秘家と現代の科学によって深掘りし、証明されつつある。

ここまでの話の最初に

『"未来だけではなく「過去も変えられる」という部分に、
  今回の記事の本質と【"意識の絶対的な価値"】を見出すことができる"』

と書いたことの意味を理解していただけただろうか。

神道における「中今」という言葉(概念)も、

「現在を起点に未来を生み出す」というよりかは、
「過去・現在・未来が一つになって世界が作られている」、さらに言えば
状態が変化する過程の尺度を簡潔に表す言葉として」

その言葉が使われていると解釈している。

思うに、「ONE PIECE(ワンピース)」では、
ここまで解説してきた要素を取り入れているのではないだろうか。

ワノ国編での「トキトキの実」や、「未来島エッグヘッド」という名称は、
その際たる要素であると感じる。

もちろん、「新時代」を打ち出しているからこそ「未来」という言葉を
使っているとも考えられるが、「量子力学的な過去・現在・未来の概念」も
採用していると思っている。

でなければ、"「未来島」が「科学の島」である必要はない"からだ。

私達は、その知識があろうとなかろうと、
何かを望んでいようとなかろうと、このような世界の中で生きている。

私達は、自分の意識の方向性(6)によって、
あらゆるものを生み出し、変えることができる。

逆に言えば、「ただ何となく流れているように感じられる」自分の人生は、
「過去の自分が意識を向けたものの結果」であるということ。

その"状態"になることを望んだのは他でもない自分自身であることを、
少しずつでも受け入れていく生き方をしなければならない。

つまり、【"因果"】の概念を最重要視しなければならない。

もちろん、「こんな人生を望んだ覚えはない」と思う場合が大半だろう。

しかし先ほども言った通り、それが自分にとって
良いものであろうと悪いものであろうと
「"意識を向ければ"」、そうなる。

喜びをもたらすものに意識を向け続ければ喜びがもたらされるし、
怒りや憎しみに意識を向け続ければその通りの人生がもたらされる。

何かを渇望している状態に意識が向き続ければ、
なおさらその渇望が強くなるような状態がもたらされる。

これを書いている私もあなたと同じように、
自分ではそれなりに苦労する人生を送ってきたと思っている。

今解説しているこの知識も、苦労の末に辿り着いたものであり、
基本的には誰かから教えられたものではない。

その上で私は自分の人生が「なぜこうなったのか?」を、
認めたくないことも多々あったにせよ、少しずつ受け入れてきた。

ゆえに、自分の人生を変えたければ、
あなたも「これまでの過去を受け入れる」必要がある。

今の時代には「親ガチャ」と呼ばれる言葉があるが、
靈界の仕組みを多少なりとも知っている私からすれば、
その親を選んだのもその人自身であると言わざるを得ない。

同じような言葉で「生んでくれと頼んだ覚えはない」という言葉があり、
漫画やドラマなどでたまに使われることがあるが、これも間違っている。

その人は"自ら望んで"この世に生まれてきている。

つまり、「生まれること自体」「その場合に親となる人間」
どちらも自ら選んでいる。
(もちろん、死んだ後/生まれる前の世界の話なので、
 信じられる人だけ信じてくれればいい。)

しかし、おそらくこの2つの事柄は、
人によっては認めたくないことでもあるだろう。

なぜなら、自分の現在の人生が上手くいっていないことを基準に、
このような人生を歩むことになったのは、親の教育、または
その親の元に生まれたことに原因があると考え、

「自分は、好きでこのような人生を歩もうと思ったわけではない」

という、被害者意識を募らせた、一種の自己防衛に走るからである。

その気持ちは、非常によく分かる。

私も全く同じことを考え、親のせいにし続けた。
結果、私は自分の親を「殺す一歩手前」の段階まで行った。

争いになることを考え、
わざわざちょっとのことでは刃折れしない頑丈なナイフを買い、

「次、親が自分に何か言ってきたら刺してやろう」

まで考えていた。

それによって「刑務所に入っても別にいい」と思っていたし、むしろ
それで親がこの世からいなくなるのであれば、一時的に色々な意味で
傷はつくものの、その後は「人生が花開くはず」とも考えていた。

だがそれでも踏みとどまったのは、

「ここで殺せば、本当の意味で自分の人生が親のものになってしまう」

と思ったからだった。

つまり、最初から最後まで親ありきの人生になってしまい、
"本当の意味で自分の人生を生きられなかった"ことが確定してしまう。

それは何より嫌だった。

一歩間違えれば殺人者。ゆえに、無差別殺人などは別として、
「恨みの末に殺人に走る人の気持ち」は私には非常によく分かる。

事実、殺人に関する被害者と加害者の関係性は、
「親族である場合」が40%~50%と最も多い。

だが親であれ、人を恨んでいる人間が幸せになることは無い。
なぜなら「恨むまでになった"過去"」を肯定することになるからだ。

肯定すれば、それが良いものであれ悪いものであれ、それを続ける限り、
その延長線上の"現在と未来"を歩むことになる。
(それはここまで解説してきた通りだ)

そのため私は少しずつ過去を受け入れ、未来を改善するように努めてきた。

その過程で靈界や氣の話など「目に見えない領域」の話を学び、
それを今こうしてあなたに説明している。

これを読んでいるあなたが
どのような人生を送っているかは分からないが、ここまでの話を

「靈界や意識の原理など存在しない/証明されていないから信じない」と

否定することも、もちろん可能だ。

だが、靈界の存在や意識の原理を信じようと信じまいと、
生まれるまでの一切を認めようとなかろうと、この宇宙は
「そのような仕組みになっている」可能性が高いことを、
一歩、耳を傾けて頂けたら幸いである。

だが、重要なのは根本の話、
なぜ私達は、このような人生を送る羽目になったのだろうか?


世界を支配している連中が真に握っているのは
「富・名声・力」ではない。


つまりあなたは

1.「このような知識を隠していた者が存在していること」と、
2.「常時、意識を向ける方向を誘導され続けていること」

気付かなければならない。

気付いたなら、
"1"はまだ置いておくにしても、
"2"に関して考えなければならない。

ここまで解説してきたような知識を子供の頃から知っていれば、
我々の親は苦しむこともなかったし、それは結果、その子である
我々が、苦しみのない人生を送れていたことにも繋がっていたはずだ。

このような知識が今まで隠されてきたことには様々な理由があるために
一概に「悪」とは言えないが、意識を誘導されていることは明確に
"悪"と言えるので、私たち一人一人がそこに気付き、本当の意味で
"意図して意識をコントロールする習慣"を付けなければならない。
(もちろん、ここにおいての「意識を誘導する」とは"悪い意味で"だ。)

先ほど「悪は必要」と書いたが、その場合の悪とは"状態"ではなく
"概念"の話であり、「意識を意図的に悪い方向に誘導すること」は
"状態としての悪"に当たるため、今の時代は存在しない方がいい。
(というより、今の時代はこの"状態の悪"が役目を終えようとしている)

人類の歴史とは言い換えれば、数少ない支配者たちにより、この
「人々が意識を向けるもの」を意図的に操られてきた歴史とも言える。

私達は普段、自動車やパソコン、携帯など、文明の利器に依存している。

これらは世界規模での"状態としての悪"が数千年続いてきた延長線上に
生まれたものでもあり、ある種私達は、その「恩恵」を多大に受けてきた。

これは言い方を変えれば「意識を操られ続けてきたがゆえに生まれたもの」
でもあり、その中で喜びを味わってきたのなら、"状態としての悪"
完全否定することはできない。

しかし、だからと言って「その状態」がいつまでも続いていいものでもない

ここに、
"概念としての悪"を「認めて受け入れ」ながらも、
"状態としての悪"を「無くす」という、一種の矛盾が生まれることになる。

それを解消する鍵となるのが、
"この宇宙の仕組みと、意識の方向性を定めることの価値を知ること"だ。

何か特定のものや方向に人々の意識を集中させれば、
その内容次第によって簡単に、あらゆるものを生み、消し、
あらゆるものを良い方にも悪い方にも変えることができてしまう。
(ここの"原理"についても後々、別の記事で解説する)

世界を支配するとは、莫大なお金を持つことでも、
人を意のままに従わせる権力を持つことでもない。

【"人々の意識をコントロールする"】ことだ。


メディアの追求="悪人宣言"


どのような場合でも、世界を変える力(エネルギー)を増幅させるには、
自分の(もしくは人々の)"意識を一点に集中させ続ければ"いい。

そのような意味では、現代における【メディア】は
"状態としての悪"を創り出す上では非常に効果的な手段だ。

世の中の出来事を伝える媒体として機能するメディアは、
大抵の場合、「ネガティブな出来事」を伝える。

それは世の中が悪いからとも言えるが、その「悪くする原因の一つ」にも
メディアが関与していることは否定できない。

悪い出来事が起こる メディアが報道する 人々の意識が悪い方へ向く
悪い出来事が起こる、の悪循環が巡り続けているからだ。

よくメディアは「虚偽きょぎの放送をしている」などと言われることが多いが、
"メディア"というものの効力をよく知っている者たちからすれば、
別に虚偽の内容や誇張こちょうした内容でも構わない。

「メディアは嘘をついている」と誰かが
"真偽を追求した時点で"既に意識が
"悪い方へ向かっている"からだ。

「正そうとする」ということは、前提が悪いものであるということであり、
「最初に悪いものに意識を向けてから」行動していることを意味している。

既にその時点で、メディアの存在価値が高まっているのだ。

そしてそこには、同じく"メディアを追求したい人々"が集まるため、
メディアに対する「負の意識」をさらに増幅させる。
(ここでは解説しないが「個人が向けた意識の良し悪しによる創造」は、
 「世界全体の良し悪しの創造」に微量ながら関与している。)

つまりメディアは
ネタ選びの段階でネガティブなものがほとんどであるため、
起こった出来事をそのまんま伝えても視聴者には負の意識が生まれ、
それを誇張すれば、なおさら負の意識が大きくなりやすい。

さらには視聴者の方から"その真偽を追求"すれば、それこそ、
"負の意識を拡大させる媒体"としてメディア本来の役割を果たすことになる

現状を良くしようと思ってしたことが、
さらに現状を悪くすることへ無意識の内に加担し、
その一人一人が知らず知らずのうちに悪人にさせられている。

メディアの在り方や真偽を追求すればするほど、
メディアの思い通りというわけだ。


善人が"悪人"になる最も簡単な方法は「悪を殺す」こと


これを改善するには、

1.メディアを自分の中で「無いもの」と捉え、完全に無視する
2.さらに大きなスパンで捉え、一時的な悪を結果の善の為の教材と見なす

のどちらかの手段を取ることが重要だ。

1はそのまんまの意味だが、2に関しては例えば今解説したような、

「悪いものがあり、それを改善させるにはどうすればいいか?」
           ↓
「意識を向ける先を変えることが重要だ」

というような、答えに辿り着かせるための教材として
消化(昇華)させるということ。

つまり、「"ある意味ではメディアの存在を認める"」ことが大切となる。

これは別の角度から言うなら、
「過去を乗り越えて未来を創造する」という表現と同じであり、
この点で言えば最初に、「活かす」ことに意識を向けるため、
ポジティブな結果をもたらす可能性が高くなる。
(少なくともその"方向"には向かう)

意識の向け方(及び思考)の変化には、

1.知覚・認識する
2.知覚・認識したものの捉え方を決める
3.決めた捉え方を受け入れる、の3つの段階がある。
(これらのプロセスを日々、私達は無意識に行っている)

このうち、
"1"は基本的には意図して変えられるものではないが、
"2"は意図して変えられる(3は"2"次第で良くも悪くも変わる)

現代の人々のメディアとの接し方で問題なのは、"2"の在り方だ。

最初に物事を認識したのち、"悪と捉えた上"でそれを消して
善に変えようとするために、新しい悪が生まれてしまっている。

これの問題点は、
最初に悪い部分に意識が向き、それを消そうとするために行動することで、
その間ずっと意識を向け続けるため、悪いものが余計に増えていることだ。

上の例で言えば、悪を認識するのは仕方ないとしても、
それを善と捉えて善に変えなければならない。
(これは「悪を無理やりにでも善と思え」ということではない)

この場合の「善と捉える」ことが"活かす"ことであり、メディアを一種の
"必要悪"と捉え、何らかの思考の材料にすることが大切という意味である。
(善の側面(可能性)を見出す作業とも言える)

実際、メディアは「情報を伝える媒体」という意味では
必要な情報を発信している側面もある。

この場合の"思考の材料"とは、例えば一般的によく見られるものとしては
メディアが虚偽・誇張した情報を発信しているのであれば、それを
「人々に真実の情報を探させる動機づけのための媒体」として解釈するなどだ。

あるいは、私の場合であればメディアが報じている一つ一つのニュースを、
"それが報じられた意図"(裏の意図)を読むために使ったりもする。
それにより、この先の時代の流れが見え、予測しやすくなるからだ。


「腐敗」とは神の"恵み"


これらが

2.さらに大きなスパンで捉え、一時的な悪を結果の善の為の教材と見なす

ことだが、もう考えるのが面倒くさいのならば

1.メディアを自分の中で「無いもの」と捉え、完全に無視する

が結局のところ一番楽だ。

この2つの選択肢はどちらも「悪く捉える(決める)こと」から
意識をズラすことを目的としている。

結局は何も見ないのが一番楽だが、
何もかもを無視することもまた難しいので、
2.の内容と例を伝えた次第だ。

これはまた別の記事で解説しようと思っていることだが、
この宇宙では"変容"はあっても「消失」は無い。

「消えた・無くなった」と思えるのは次の変容のための
準備段階として起こることであり、本質的に無くなったわけではない。

ゆえに「増え、広がり、深まり」続け、
大きくなり続けるのがこの宇宙である。

そしてその3つ全てが"意識とその方向性"が元になっており、
「あなたが何に対して意識を向け、何を思考したか?」に反応している。

意識を向けること自体が「生む」ことであり、
思考することはそれを「変える」ことという解釈も可能だ。

ゆえに悪を消そうとすれば、それ自体が
"意識を向けて思考する"ことであるため、余計に増える。

そしてそのまま消してしまったら、別の形に変容してまた増えるのだ

今の時期は、この「意識を向けたことが顕現するまでの速度」が年々、
時間が経つごとに早くなっている。

意識を誘導されている現状の人々だけでなく、それを
「仕掛けている側の人間」にまで影響が及ぶほどだ。

ゆえに今の時代においての"状態としての悪"は、
人々が無くすのではなく、"勝手に無くなる"ことになる。

そのため「仕掛けている側の人間」のことはある程度理解する位でよく、
どちらかと言えば「現状、意識の価値を知らず誘導されている人々」に
"これらの知識を伝えた上で選択してもらう"ことの方が重要だ。

そしてこれらの意識の性質が、勘の良いあなたであれば

"「メディアの在り方」以外にも共通する法則"

であることには気付いているはずだ。

この星で起こっている争いや不幸な現象は、
本当に"自然に起きたもの"だろうか?

これは「人工的に起こされた」という意味よりかは、どちらかと言えば、

"人々が意識を向けさせられた結果、起きたものなのではないか?"

ということだ。(つまり、ある意味では自然に起きているとも言えるが)

悪いことが起き、それを消そうとすることは一見、善と悪の対立に見え、
正義の戦いのように見えるが、実際にはどうだろうか?

この場合、悪を"意図して"行っている or いないの違いこそあれど、
実際にはどちらも悪の糧にされており、その対立が新しい悪を生んでいる。

善に偏ることは、悪に偏ることと本質的に全く変わらない。
この場合「善が悪い/悪が悪い」ではなく"偏ること"が悪い。

しかし、世の中には"善に偏らせることを意図"した
勧善かんぜん懲悪ちょうあく」の物語や思想、発言が非常に多い。

ここに"悪を悪と捉えることの罠""自分を善人だと思うことの驕り"
それら「人々に自分の存在を定義させること」を仕組んだ者達の"意図"
読み取らなければならない。

これらを仕組んだ者たちは、本質的には「善や悪は存在しないこと」と、
"人々が偏ってくれれば自分たちが動きやすくなる"ことをよく理解している

その上で、人々の意識を誘導する"メディア"や
"勧善懲悪物語"は非常に有効な手段である。

このことに気付かなければ、永遠と意識を誘導されたまま、
知らず知らずのうちに罪人にされ、

【平和な世界を望みながらも、言動や行動で悪の世界の創造に加担する】

という、まるであべこべな状態を創り出すことになる。

"悪を消しながら生み出し"、結果、どちらも
「悪を生み出す罪人」になっているのだ。

ゆえに、"活かす"ことが重要なのである。

古代中国から存在したとされる「孫子の兵法」には、
以下のような言葉がある

「百戦百勝は善の善なるものに非ず。
 戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」

これは「戦わずして勝つことが最も良い方法」であることを説いた言葉だ。

同じ次元上で考えれば善と悪が戦うことは仕方のないことのようにも思えるが、一皮剥け、さらに「上・中心・本質」の視点で考えなければならない。

この世界は全てが「過程として良い」のであり、
それを「結果としても良い」形に変えるには、
人々の"活かす意識"が重要だ。

そしてこれは"腐敗"においても同様である。

そうでなければ、古代人は"イザナギ・イザナミの黄泉の国神話"を残さない
し、中世の西洋人たちも"ニグレド・アルベド・シトリニタス・ルべド"
錬金術的概念を残さない。

これらは"結果"に至るまでの一繋がりの「過程」をまとめたものであり、
この順通りに物事は変化し、完結し、また変化する。

これら錬金術的概念は、錬金術限定の要素ではなく、むしろ逆で、
「この世界の物事が変化する際にはこのような過程を辿っていく」
ことを、錬金術という分野の中に取り入れたものだ。

ゆえにこの変化の順序は、"錬金術以外の分野にも当てはまる"。

それは世界の変化においてもまた同様で、現在の世界は
上記、錬金術概念で言えば"黒"(腐敗)に当たる。

おそらく一つ前の世界的な"赤"(増加)は古代ギリシア文明であると
考えているが、現在はそこから周回して"黒く"なり、しかもここ数年は
それがさらに濃くなっているため、この"必要過程としての腐敗"
これから1~2年でさらに強まっていくと予想できる。

だからこそ、今回の記事を書いた。

この「必要過程としての腐敗」が強まる時、一般の人たちも含め、この
都市伝説界隈でも「それらを正そうとして頻繁に批判をする者たち」が
現れるだろう。

あなたには、それらの全てを無視して自分の幸福を突き詰めてほしい。

世界を変えるためには、まず自分が幸福になることを避けては通れない。
これは歯車仕掛けの機械のように、"順序"として絶対的なものだからだ。

この世界に顕われているものは、腐敗も含め
全てが【"良い"】ことを忘れないでほしい。


"5"【この宇宙における"意識を備えた生命"の誕生】
"6"
【生命が"何か"に対して意識を向けた状態】

自分の望む状態に意識を向け続ければ、「生み出される未来」も変わる。

好きなものを手に入れている状態に向ければそれが、
好きなものを欲しい状態に向ければそれが、
嫌いなものと戦っている状態に向ければそれが、

そのまま反映され、あなたの人生に返ってくる。

何かを「手に入れたつもりの状態」と
何かを「欲しいと思っている状態」には大きな差がある。

欲しいものがあるならば、それを欲しいと思うのではなく、
それを「もう既に持っている状態」を感じ、思考しなければならない。

何かに意識を向けるたびに、それ相応の世界が未来において創られる。
数あるそれらの世界の中で「最も可能性が多く確立の高いもの」を
「これから起こること」として、あなたは受け取ることになる。

未来とは、

"あなたが何に対してどれだけ、意識を向けているか"

によって変化し、生まれるのだ。



追伸1.


本編では「過去を変える」内容において、イギリスの
ケンブリッジ大学が発表した研究結果を紹介したが、
以下の動画でもそのことが詳しく解説されている。

この動画内では過去を書き換えるためには
「仕込み」が必要であると説明されている。

この解説を聞いて浮かんだのは、何をしたら「仕込み」になり、
何をしたら「仕込み」じゃなくなるのか?という疑問だ。

私は物理学者じゃないので、あくまで"考察"という形でしか
考えることはできないが、この動画の中ではこの「仕込み」について、
「答えを曖昧にしておく」という意味の内容で解説していた。

これを見て理解できるのは、仕込みが仕込みじゃなくなるのはおそらく、
その曖昧なものを「結果(決定)付けた」時点だと思える。

つまり「結果を認識」した時点で仕込みじゃなくなるということだが、
もしその線で考えるのであれば、例えば自分の人生を変えたい場合、
自分の中ではあまり強く印象に残っていない、過去の人生の
「どこかのある場面」を思い浮かべ、その場面から先を

「"この場面を起点に人生が好転し始めた"」

決定付ければ、その通りに現在の人生も好転していくのではないかと思える

そのような場面であれば、
例え過去でも強く意識していない("結果"として決定付けていない)
可能性が高いため、その場面を現在の時点で「仕込み」と認識し、
「人生が良くなった原因」に出来るのではないかと思われるからだ

もしそうなら、やはりそれが良い形であれ悪い形であれ「過去を肯定」する
ことは、現在と未来の人生を変えることに繋がっているように考えられる。

だがそれはある意味、多くの人がやっていることでもある。

この研究は、「その捉え方」にちゃんと効果があることを
証明してくれたものであるように感じられた。


追伸2.


本編では現在の世界が「ニグレド・アルベド・ルべド」の中の
"ニグレド"(黒)の状態であることを紹介したが、
この「黒の世界」を乗り越えたらいずれは「赤の世界」に到達する。

だがこの"赤の世界"という言葉を使った時、その言葉から連想されるのは
人によっては"社会主義/共産主義"という思想かもしれない。

事実この思想には「赤旗」が使われており、
特に共産主義においては「赤い星」が用いられる。

では、都市伝説が好きなあなたが最近見たであろう
赤い星が刻まれたものは何だろうか?

もしかしたら、これかもしれない。

このビールには、

・共産主義の象徴が使われていること
・緑と赤という色の象徴性
・"酒"(避け)であること

など、これ一つからでも様々な象徴とその意味を読み取ることができる。
また"緑と赤"という色で、あなたはこのシーンも思い出すかもしれない。

もう一つ、"社会主義/共産主義"を象徴したシンボルがあるが、

「物作りの象徴」である"槌"と
「農作物を刈り取る象徴」の"鎌"

このシンボルは元々農業労働者と工業労働者の団結を表しているとされ、
先ほどの「赤い星」と合わせて描かれることも多い。

チェコスロバキア共産党の党章
ソビエト海軍の軍艦旗

これは、共産主義の象徴である"赤い星"と、
労働者階級と農民階級の同盟の象徴である"鎌と槌"を
組み合わせることによって、共産主義の世界を支持する象徴となっている。

(このシンボルは象徴的意味が元になって政治的意味が生まれたと
 考えられるが、その説明は今回は省く。ヒントは"11"だ。)

あの有名な「資本論」を書いた「カール・マルクス」は、
共産主義の世界に至るためには革命が起こされる必要があり、
その際の"革命を起こす者たち"は「プロレタリアート」と呼ばれる、
"労働者階級の人々"であると考えた。

ここに旧ソビエトの「ウラジーミル・レーニン」が、それら
労働者階級と一緒に"農民階級"「革命を起こす者たち」の中に加え、
その二者によって共産主義世界に至るための通過点「プロレタリア革命」
起こるとし、のちにこの"鎌と槌"のシンボルが出来上がった。

つまり「労働者 & 農業者が革命を起こす」こと、もっと言えば、
"革命を起こしたくなるような出来事"が起こることが、
共産主義世界へ至るための手段の最初なのである。
(これがいずれは「赤色テロ」などにも繋がり得る)

では最後にあなたには「農家 デモ」で検索して頂いた上で、
それがどんな内容なのか?いつから起こっているのか?を
把握して頂き、この記事を終わるとしよう。

今回は、いつものような漫画×都市伝説(+α)の話は多くなかったが、
自分の中では非常に重要なことを書いたつもりだ。

次のPart3.からはまた漫画と都市伝説(+α)に絡めた話に戻ろうと思う。

今回も読んで頂きありがとうございました。

今回の記事が良かったら、高評価と拡散をお願いします。
それではまた次の記事で。




"注意"

この記事における文章は、
画像や動画、またそれらに付随する著作権表記以外は全て、
この記事を投稿しているアカウント
「漫画×都市伝説(X:@sunlightmoon562)」の著作物となります。

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無断転載は固く禁じておりますのでご遠慮下さい。

なお、これらの約束が守られなかった場合、
然るべき対応を取らせて頂く場合もございますので、
その点、事前にご了承ください。


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