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自分に心地よい世界は心が弱くなる・・・かも

これだけネット社会が発達すると、必要な情報は気軽に手に入れる事ができる
読めない漢字、言葉の意味、世界で起こっている出来事、新製品の発売日、最近のトレンド・・・
情報は溢れ、意識して取捨選択しないと、その膨大な量に溺れてしまいそうになる


私たちの身近に当然のように入り込んできた「SNS」というツールもその一つ
今まで巡り合う機会のなかった人とも気軽に交流出来る・・・その気になれば言語の壁すら越える事ができる


個人で「世界」とつながる事ができ、情報発信することはもう当たり前のように日常的に行われている
私もnote で記事を毎日発信しているけれど、以前はTwitterでも他愛ないことを呟いてもいた
性質の違う二つのツール・・・とくに後者では利用者数も多いせいか癖のある人も多く、嫌な思いをしたことは一度や二度じゃなかったのも事実
時にはミュート機能やブロック機能を使って、それらの情報を一方的にカットしたこともある


そんな経験を経て今に至るのだが、先日読んだ「うぇふさん」の記事を読んでいて考えさせられるものがあった


確かに「行きすぎた表現」や「意見」、誹謗中傷に「晒し行為」、中には「イジメ」や「ハブり」など・・・いろんなことを見聞きしたし自身も経験すると、そういった人とのつながりを簡単に「遮断」できる機能は正直必要だと思う
私もそれで救われた部分もあるし、なんならTwitterに至っては完全にアカウントを削除して情報源そのものを絶ってしまった


これについては今でも「本当に良かったのかな?」という思いが時々頭をよぎるし、それで良かったとも思う・・・「正解」かどうかは正直わからない
そう・・・私は安易に「自分に合わないもの」から目を逸らし「独裁スイッチ」を押しただけに過ぎないんじゃないか?
そんなことを考えてしまいます


確かにいろんな考え方はあるし、時には眉を潜めるような情報もある
それでも最初から蓋をしてしまえば、そういった情報の「良し悪し」を考える機会もまた、失ってしまう
そうなると「自分の弱い心」を守る術も失ってしまうんじゃないかって


考え続けること・・・そう、自分の頭で考え続けることで自分にあった「答え」が見つかるのかもしれない

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