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自分にも人にも優しくできる人ってかっこいいなって

ずっと、他の人のことを想える優しい人が好きだった。
自分もそうなりたかった。

人のために生きている人が好きだった。

でも、中には、自分のことを傷つけてまで誰かのために生きている人もいるんだなと気づいた。

そういう人を見るのは苦しかった。

そして、自分も自分を傷つけている側だと気づいた。その結果人のためにだって生きれていなかったことも。

気づかないものなんだなぁと思ったし、気づいても簡単にやめられないものなんだなと実感した。

自己犠牲的な生き方で、いろんな人を傷つけてしまっていたと思う。
何より、自分を大事に思ってくれる人ほど傷つけていた気がする。

いつも他の人を傷つけている人と一緒にいるのはもちろんしんどいように、自分を傷つけている人と一緒にいるのもしんどかっただろうな、。

尊敬している友達が何人かいる。
みんな自分にも人にも優しい人だなって気づいた。

どうしてかずっと眩しくて、彼ら彼女らがずっと遠い存在に思えていた理由が分かった気がした。

それは頭の良さでもスキルでも熱量でもなくて、ただ自分に優しくできているかどかの違いだった気がする。

言い換えるなら、自分の人生を生きているかどうかだった。

人に優しいのはもちろん、自分にも優しくできるその人たちがずっと羨ましかった。

きっとそれに劣等感を感じていたんだなと思う。
どうしてそんなキラキラ生きれるのか、と思ってた。

自分の心を殺して、作り笑いで色んな人にいい顔をしたり、断れずに色んなことを引き受けてしんどくなったりしているうちに、自分が本当にしたいことや、自分の心が求めているものを後回しにしてしまっていた。

つまりは自分の人生を生きていなかった。

その結果うつ状態みたくなって、感情が麻痺して、自分が自分であることも忘れてしまったように無気力になっていた。

でも、もう我慢するのはやめる。

自分に優しくします。

したくないことは、優先順位の低いことは断るようにする。無理して引き受けない。

自分に嘘をつかない。心から笑えるときに笑う。

誰にでもいい顔をしない。自分が自分らしくいられる人を大切にする。広く関わるのはそのあと。

心に従う。(それができたら苦労しないよってね、笑)

自分のために時間を使う。

自分を大切にできた先の世界は、もっと美しいんだろうなって思う。

その未来では、今よりずっと人の役に立てる気がする。

今の僕にはまだ未知数の世界で、自分を大切にするということがどういうことか、理屈じゃなくてやっと感覚で分かり始めている段階。

この前、大学の友達(と呼べるほどまだ親しくなれていないかもだけど、本当に心から尊敬している)が、suicide prevention week (自殺予防週間)のときに、「多くの人が、今より自分にも他人にも優しくできるようになったら、、、」みたいなことを言っていた気がする。

本当にその通りだなと思って、ずっと心に刺さってる。
それのおかげで気づけたのもある。

大学に入ったときから気が合って、その友達が、私たちって考えていること似ていると思う!ってすごく喜んでくれたのを思い出した。

…でも僕はずっと自分の心と過去にもがくことになって、気づけば遠く眩しい存在になってしまって、あんまり積極的に話せなくなってしまっていた。

僕が最初から自分に優しくして、自分らしく生きていれば、。

その人だけじゃなくて、他の人とももっと深く仲良くなれた気がする。

こうやって書いていたら、なんか涙が出てきた、笑

自分の生き方を後悔してってより、気づけたことに嬉しくてかな😂

後悔してる関係性はたくさんある。

というか、あらゆる関係性で誤っていたと思う。

今からでも、自分自身を生きていこうと思う。

そうしたら、世界の見え方も、人との関係性も、今より少しずつ楽しくなっていく気がする。(なんだか怪しい瞑想みたいな言説にきこえる、?笑)

心の声をきいて、本当の自分を生きて、自分にも人にも優しくできるような人になれますように。

きっと答えも終わりもない旅を、美しく、そしてちょっぴり楽しく生きたい。

(僕はキラキラハッピー!!みたいな楽しさはちょっと暑苦しく思えてしまうので、ちょっぴり楽しくという方がいい感じに聞こえる。)

何者になれていなくても、全然うまくいってなくても、自分が自分でいられる幸せを知れた。

少しずつ自分を生きていって、いろいろ叶えていけたらいいなと思います。

いつもの如くどんどん話が逸れていく乱文を読んでくれた方に感謝を込めて。

ではまた。






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