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一考察:秋に具体的に思う

日がのぼった秋の土曜日の午前中。
歩道橋から幹線道路を臨む。

横にバイパスができたのと、
土曜が昔で言う半どん休みの扱いなので、
そんなに車は多くない。

歩道橋のわきのエレベーター、
今は稼働中だが、早朝深夜は活動停止。
歩道橋に連なる遊歩道、
遊歩道横の百貨店跡が廃虚と化し、
老朽化の為通行止め。

これら昭和の副産物、
活かし切れば大したものと称され賞される。

だが本来の使い方で、と言うならまず無理。
そうして時空を超えきれずに令和に残る。

知恵者が居ればどうにか成ってた。
お金があればより良くできた。
人口が居れば何か変わったはず。
評論家たる人々は言う。
でもそれも
箱物が好きな、いにしえの為政者の考え方。

そもそもなんでこの地があったのか。
歴史を活かして、今に即したら、と思う。
近代現代史でなく、近世まで遡ってもよい。

ここ、黒崎という街は、
現代で言う北九州市の副都心。
ところが北九そのものが
福岡市に飲まれ食われて荒れ野原。

北九州市の中枢たる街小倉と
未だどんぐりの背比べのつもりでいる黒崎。

豊前の国小倉藩と、
筑前の国の黒崎宿。
今で言う小倉北区の中心部と、
八幡西区黒崎。

どんなに工業地帯で栄えた近代があっても、
どんなに鉄の街八幡製鉄所のお膝元でも、
役割分担しないで、
区同士で意気がれば、
藩が違ったし文化が違うとのたまれば、
そりゃあうまくも行くはずございません。

交通の要衝として黒崎を宿地のみにして
北部商圏街として小倉のみを繁華街にする。

いま住むひとたちの複雑な絡みと感情は
分からなくもないけれど
これ以上地盤沈下したいのですか?
後世の子供達に明るい未来を
作る気はないのですか?

一北九州市民の出戻り住民として
決起したい、な。

※政治的に思う種を
とあるフォロワーさんから
感化され、いただきました。感謝!

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