移り行く景色の一部

変化は成長なのか

この1年で僕自身は劇的に変わった。

「吸わない」と豪語していたタバコを吸うようになった。
髪も随分と伸びた。
仕事での立ち回りも立場も上になってきた。
生活習慣も変わった。
関わる周りの人も変わった。

高校3年生の卒業文集に書いた
「変化は成長である」
という言葉。

今ではあれは間違いだったのではないかと感じる。

明らかにタバコを吸う事は身体にとって悪いことだし、生活習慣も不規則になった。

これが成長なのだろうか。

僕は今までの人生で人間が変わったと言えることが1度あった。

高校2年生の夏頃に毛嫌いしていたアニメ的コンテンツにドハマリし、中学の頃の友人に「お前何があったんだ」と心配された。

高校生の頃の僕はそんな変化を「成長」と感じたらしい。

今では正直よくわからない。


去年の夏の終わりまで約1年半付き合った彼女がいた。

今振り返れば結構モラハラなんじゃないか?と思えることをされてきてあまり良い思い出はない。

そんな彼女は僕の音楽という趣味に理解がなかった。
2人で車に乗る時には僕が気を使って彼女の好きな嵐を流していた。

そんな思い出すら苦い。

だからここ1年、嵐を聴かないようにしていた。

曲に罪はないのに。


最近、友達の車に乗っている時に嵐が流れた。

不思議と苦い記憶ではなく、懐かしいという感情が生まれた。

そして気づく、嵐の曲めっちゃ良い。

この1年という月日は、苦い思い出を成仏させる期間だったのかもしれない。

もちろん、それで前の彼女に会いたくなったり、連絡を取ったりはしていない。
思い出は思い出としてとっておく事が1番美しいからだ。

未練とか、後悔とか、そういった思いはない。
ただ、最後別れる時に「ありがとう」と言えなかったのは心残りと言えるかもしれない。

1年経った今彼女に再会したらこう言うだろう。
「あなたのおかげで人にやられて嫌な事が明確になりました。自分を抑えた状態の僕を好きになってくれる人ではなく、自分自身ありのままの僕を好きなってくれる人が僕を幸せにしてくれると気づきました。どうもありがとう。」

今まで憎悪しかなかった感情に、少しの感謝の念が入っただけでも成長したのだろう。

僕自身の行動はゴミでも、思考が少しでも変わることは成長なのかもしれない。

それでもこんなに捻くれた感謝の伝え方しかできないのは、僕がまだ人として未熟だからだ。

これからは行動も成長したと言えるような変化をしていきたい。

でもまだもう少し未熟でいようと思う。
きっとそれが若さで、その未熟さが経験になるから。

相変わらず前の彼女は嫌いだけど、思い出と曲に罪はない。

当時最も好きだった嵐の曲は、失恋の歌だったらしい。
彼女と別れて1年と少し、やっと知った。

2度と会うつもりもないけど、ありがとう。
大嫌いです。

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