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炎上動画と資本主義とゲーム理論

回転ずしでの迷惑動画が問題になっている。改めて回転ずしというのはモラルが高い国、地域でしか成立しない、特別な存在だったんだなと変な視点から見ればそんなことも思ってしまった。

自分が子供のころ、東西冷戦という時代で資本主義という価値観も強かった印象がある。東欧諸国がいろいろあって崩壊していき、ソ連が崩壊したときはまだ学生でこれがどういう意味かはその時はわからなかった。
時は過ぎて、そんな風潮もなくなって、今の若い人はその当時の文化的、思想的なものってわからないのだろうな、って思うことはある。日本はアメリカの同盟国で資本主義の価値観が強かったし、バブルくらいの時が一番そういうものが強かったように思う。
自分は共産主義ではないけれど、資本主義というのも嫌いだった。ソ連をはじめ多くの社会主義国が形を変えた、社会主義国家というのは間違いであっただろう。しかし、資本主義が完ぺきか?といえばそうではない。ネットの普及、SNSの人気でしばしば起こる炎上騒動。今回も回転すしなどでの迷惑動画が問題となっている。人気、話題になりたい、そういう感情は資本主義にとっては大事である。ただそのバランス、社会という組織の中で許されるものはどこかは大事になってくる。
近年、ゲーム理論という考え方、物理経済学者などが統計と計算などで何が最適な方法かを論理的に数値化するというやり方が増えている。有名な例は「囚人のジレンマ」という例題でものすごく簡単に説明すると個人にとって一番メリットだと思う選択は間違いで自分が少し(相手の)負担を受け持つことがいい選択になる、という話。周りのことを少し気遣うことで結果的に自分に得が来る、「情けは人の為ならず」ということわざのように周りを助け、みんなで儲ける選択をした方が結果がよくなる、ゲーム理論ではしばしばそういうケースが出てくる。そしてこの考えは共産主義の考えに近い。
欧米はこういった文化は歴史的背景なども影響されて、このような考えは進んでいるようにみえる。今、SDGsなんかを必死でアピールしているがあーいったことも関係はあるのだろうと思っている。日本はどのジャンルにおいても誰かの真似をしがちなところがあり、資本主義、社旗主義の本質を意識することなく、表面だけで論点にしていたように思う。共産主義は確かに国家、企業でそういう体制は誤りで権力者を生みやすく、間違いが起こりがち。しかし、個人レベルでいえば完全に共産主義である必要はないもののある程度、お互いが助け合っていけるといいのだろうと思う。
ソ連が崩壊して、もうかなりの時間が経つ。社会主義国家として中国は存在しているものの本来の意味での共産的な考えではなく、政治的な共産主義のように見える。別に中国をどうこう言うつもりはない。ただ日本は冷戦が終わって、かなり経ったのだからもう少し冷静に資本主義、共産主義ということを捉えていっていいのではないかと思う。目立とうという意識はやはり資本主義的な考えだろう、その行き過ぎを止めるためにはその反対の選択、共産的な考えも大事だよというのをもっとやっていった方がいいのかななんて思う。
今日、有吉さんとマツコさんの番組でもやしの販売価格が安すぎて生産者が大変といっていた。これだけではなく、資本主義という名目でブラック労働させたりもある。ゲーム理論、「情けは人の為ならず」のように個人、自分だけが得するのではなく、周り、みんなで得をする、そのために自分も協力する、という価値観は大事な考えだと思う。
回転ずしやセルフサービスのお店は日本には多く存在する。それは共産的な考えで成り立ち、そういうシステムが可能だから安さ・質や快適さが可能なのだと思う。

一番上の写真は雑巾をすごくアップにして撮ったもの。アップで撮ってみると見え方が違って楽しくて好きな被写体。見え方は人それぞれだろうけど、誰かのために汚れ仕事ができるって格好いいなと思う。

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