「君たちはどう生きるか」オスカー受賞と日本の感覚を考える

「君たちはどう生きるか」米アカデミー長編アニメーション賞おめでとうございます。

この作品は難解だと言われることもある。ただ個人的にはキュビズムのような感性、感覚があれば大丈夫なようにも思う。
この作品がキュビズムのようだというのは以前の記事(https://note.com/sunfool/n/n5f00705fabf2)でも書きましたが改めて簡潔に説明します。そもそもキュビズムというの「3次元のものを2次元に表現した」ものです。云うまでもなく3次元のほうが多くの情報、次元が多いです。その情報を無理やりに2次元に移したらどうなるか?そのような試みで描かれた作品でもあります。具体的には正面の顔と横顔を1つの顔として描く、結果的に半分で分かれた、正面の顔と横顔というヘンテコな絵が出来上がる。
これは物理の最先端、今話題の生成AIにも応用されている量子力学の重ね合わせとよく似た構造になっています。そして重ね合わせも今までの計算方法よりも次元を上げた計算によって、飛躍的な計算ができるようになりました。簡単には重ね合わせを起こすことで情報量は大きくあがると思っていいです。
さて映画などの作品において、重ね合わせのメリットとデメリットは何か?メリットとすると重ね合わせで伝えることで多くの情報を伝えることができる。デメリットとすればキュビズムの絵のように共感できない人も多く出る

難解だという人は共感ができないということだろうと思います。これはその人、個人が悪いとは思いません。宮崎監督も万人に受け入れてもらう作品ではないようなことも話しています。全員がわかる造りではない。今はそこまで言われないが昔、フランス映画なんかも最後がアンニュイな終わり方、どうとでも取れる終わり方をする、などいわれていました。そんな感じに近いのではないかなとも思います。

重ね合わせを理解し、共感できるようになるためにどうすればいいか?
これは難しい話だと思っています。
単純に解説を聞けば理解できるのか?そういうことではないように思います。確かに情報、知識を知ることで理解しやすくなる部分もあります。ただキュビズムの絵と同じように考えた方がいいように思います。先ほどキュビズムの絵、正面の顔と横顔を合わせたものを例にしました。しかし、それ以外の描き方、男性の顔と女性の顔を合わせて描いているという作品もあります。キュビズムが空間だけでなく、いろんなもの(心理的なものも含め)を表現するためにいろんな次元を利用したように「君たちはどう生きるか」も多くの次元を利用していると思った方がいい。いろんな次元を意識することが大事になるように思います。そこには知識だけでなく、想像性も大事だし、重ね合わせを瞬時に判断する(無意識だけれども)ことも必要でそれは慣れに近いだろう。慣れというのは外国語、英語の翻訳に似ているだろう。慣れていなければ、翻訳するまでに時間がかかる、時間がかかれば、相手の会話についていけない。逆に慣れていれば、相手の話すスピードが速くても瞬時に翻訳、重ね合わせの判断ができる。
多くの次元を使えば、少ない情報で多くのものを伝えることはできる。ただ受け取り側の能力・感性によっても変わってしまう。

タイトルに日本の感覚という文言を入れた。「君たちはどう生きるか」の評価が割れていることも含め、危惧もある。それは日本人の感覚が多様性の時代についていけない、そういうことを恐れている。個人が共感できない、というのは好みの分かれる作品ということで仕方がない面もある。しかし、多くの人がそうなると話は変わる。量子論も個別と組織で計算が変わる。それと同じで個人と組織で判断が変わることはある。別にアメリカが評価したからではなく、多様性という時代にとって重ね合わせの感覚が少ないことが問題だと言いたい。日本人は真面目で勤勉だという性格。それはいい面が多いけれど、多次元、重ね合わせの世界では1次元的な考え、いいか?悪いか?のような単純な価値観になりがちな可能性がある。多様性の時代とは多次元で多くの重ね合わせが存在するだろう、その時に自分たちの世界の価値観で判断していると得られるものが少なくなるように思う。
そしてそれは「君たちはどう生きるか」だけの話だけではなく、他の作品もそうだが、他のいろんなこと、政治、社会、、、などいろんな面で1次元的、いいか悪いか、という狭い視野で議論、判断になりがちな感じがしています。
世界との交流が増えて、多様性のある社会になっていく中で重ね合わせの意識は大事になってくるように思うし、それは日本は低いようにも思っています。多次元、多視点と捉えてもいいとは思いますが多様性のある時代に日本は意識して適応していく必要があるように感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?