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生きてます。HSP & ASDでもね。

【7】カミングアウトについて


 こんにちは。

前回の記事からかなり時間があいてしまいました。
実は家族が病気になりまして、手術やら何やら……

でもなんとか落ち着いてきました。

今回は、【6】の続きなのですが、今回から漫画を取り入れたいと思います。正直、書くよりも時間がかかるのですが……何事もトライです。

漫画の内容は、前回のおさらいを、BBAの実体験を踏まえて。

生きてます。HSP & ASDでもね。【7】のぞみ55号

ここで描いた母、友A、友Bとは、私がかなり心を開いていると自分自身では思っていた人々。
だから、無意識のうちに機会を待っていたのかもしれません。

「私、実は発達障害だったらしい」と打ち明ける、つまりカミングアウトする機会を。


Case① 母の場合

私の母とは、ある年の帰省時、膝をつきあわせてゆっくり話をする機会がありました。
そこで、“今だったら話せるかも” と思った私は、思い切って
「実は私、発達障害だったらしいのよ」
と言い始めたのです。

母はいきなり両手で両耳を押さえ、「聞きたくない!」と頭を振るではありませんか。
しかもそれに続けて、
「自分がおなかを痛めて生んだ子が辛かった話なんか、やめて!」
ですって。

そんなこと言われたら、何も続けられませんよね。


Case② 友人Aの場合

母へのカミングアウトに失敗してからしばらくは、誰にも話そうとは思いませんでした。

たまたま久しぶりに友人Aが私の健康を心配してくれて、食事を共にしようと言うことになったものですから……
もちろん、カミングアウトを狙っていたわけじゃありません。
むしろ、直前までは、打ち明けるつもりなどサラサラありませんでした。

ただ、彼女が共通の知人の件について「最近、なんだかあの人おかしくて」のような話を振って来たので……

つい、魔が射してしまったんですかね。

「あの人、発達障害なのかもよ。実は私もね……」
と、医師から受けた話を、するっと口を滑らせて、言葉にして話してしまったのです。

そうしたら、彼女、私からスーッと視線をそらし、片手を上げてひらひらさせながら、茶化すじゃないですか。こんなふうに。
「またまたぁ……最近、みんなすぐそうやって〇〇障害だなんて、名前つけちゃってさぁ! そうやってなんでもかんでも病気にしちゃうの、良くないよ」

共通の知人の言動には自分と重なる部分が多数あったので、それを機に自分の中に浮かんだのは、やはり、カウンセラーや医師の言葉でした。
なので、その話を思わずしてしまったわけですが、友人Aにとっては、その出だしが良くなかったのかもしれません。

とにかく、話し相手から「良くないよ」と言われてしまったら、もうそこから先を続けることなど不可能ですよね。


Case③ 友人Bの場合

上記2件は今からもう4年以上前の話です。
正直なところ私も忘れたというか、日常の忙しさの外に追いやっていた記憶です。

そんな昨今、会社で人事異動があり、もう20年以上前に同じ部署だった友達が私の所属部署に異動して来たのです。

20年以上前……といえば、まさに、私自身が自分の障害に気づかず、怒りのコントロールがうまくできなかったり、人との会話が噛み合わなかったり……人間関係でたくさんの摩擦を起こしていた時期でした。

そんな時でも、仲良くランチをしてくれていたのが、友人B。

再会を喜び、ランチをしながら、彼女と昔話をするうちに、ふと、彼女がこう言ったのです。

「あなたもずいぶん丸くなったよね」

その時、私は無意識でした。

カミングアウトというほどではなく、『いやぁ、20年前のあの頃は私も自分の障害を知らなかったからみんなに迷惑かけてしまった』のようなことを言いたくなったんだと思います。

だけど友人Bは私がASDであることは知りません。

そのため、あくまでも前段階の説明として、私は言ったんです。
「あの頃は、自分がASDとは知らなくてね」
と。

重ねて言いますが、解ってもらいたかったというような『カミングアウト的な気持ち』より、20年前、友人Bも居る前で自分が度々引き起こしていた癇癪や爆発、それにまつわる騒動を謝りたかった……というのが本音だったのです。

ところが、友人Bは、おもむろに腕を組み、体を揺らし始めました。
そして、私の話をさえぎって、
「う~ん。誰でもねぇ。そんな障害のひとつやふたつ、あるんだよ。私にだって、旦那にだって、きっとあるのよ。ほら、なくて七癖って言うじゃん。癖だよ、癖」
と、なんなく言ってのけるではありませんか。

おそらく、私の気持ちを軽くしようというような、なぐさめのつもりもあったと思います。

けれど、言葉を継げなくなってしまった私には、その後もずっと何か消化不良のようなモヤモヤが残り続け、今でもまだその友人Bと昔のように腹を割って話すことができずにいるのです。

難しいですね。

人間が人間を解るというのは不可能であり、相手に理解を求めるのは一種の贅沢というか、夢のようでもあると思います。

ただ、カミングアウトしたいという衝動の陰には、単に「解って欲しい」という以上のものがあるのです。

次回は、その点について考察してみたいと思います。




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