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「烈士」と呼ばれた侍

「烈士 鳥居強右衛門とその子孫」  
        編集 丸山彰氏
        発行 愛知県鳳来町立長篠城址史跡保存館

私はこの資料で初めて「烈士」という言葉(表現)に出会いました。 

私がなぜ強右衛門さんに惹かれており、演じたいと思い続けていたのか?
映画を作ろうと思ったのか?
それはやはり、自分の利益や命よりも、主君と仲間をとったというキャラクターに惹かれるからです。そしてその選択のために迎えた最期も壮絶だからです。
そういう生き方、最後だったからこそ『烈士』と言われたのでしょうね。

もし自分なら、強右衛門さんと同じ選択ができるでしょうか? 
決死の覚悟で臨んだ任務の帰り道で敵につかまり、殺されると思っていたところへ取引を持ち掛けられたら? 自分の命を助けてくれるだけでなく厚遇で家臣として迎え入れてくれると言われたら? 
家族がいます。妻と子が無事の帰りを待っています。年齢だってまだ36才、これからです。生きたいですよね。何としても生き残りたいですよね。
様々なことを考えると、はたして主君と仲間を優先できるでしょうか?
戦っている最中ならば、自分も槍をふるい、走り回っている中で傷を負い、誰かと戦ってその結果命を落とすこともあったでしょう。
しかしこの場合はそうではありません。磔なのか火あぶりなのか首をはねられるのか、それとも拷問されてからなのか……。

強右衛門さんは、自ら殺される方の選択をとりました。
主君と仲間に希望の光を届けるために。 これが主君への忠儀であるのか、仲間との絆であるのか、自分の生き方に誠実であろうとしたからなのか、本当のところは強右衛門さんに聞いてみなければ分かりません。私たちが出来るのは想像を巡らせるだけです。自分が演じる時には自分なりの思いを持って臨みます。

「烈士」……改めてみるとすごい表現です。


強右衛門 Sune-emon Film Project です。
現在、映画企画の実現に向けて進行状況、作品への思いなどなど書いていきます。
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