カモン米国 ~青春の落書きは消すに消せない恥の跡

今日は、元同級生のヨネクニ(仮名)という男について書こうと思う。

というのも最近そこらを歩いていると、町なかの落書きをきれいに消す運動がさかんになってきたように感じられる。
心から、ご苦労様である。
そもそもこうした落書きは、少年たちが徒党を組んで自らクルーと名乗り、夜陰に乗じて、カラー・スプレーを巧みに用いて公共物や個人宅の壁へ派手な落書きを残す、という悪質きわまるものであったそうな。
こうした被害は一時、全国に広まった。
それは70年代にニューヨークのブロンクスなどで流行ったサブカルチャーとしての落書きの影響で、文字とも絵ともつかぬ「タグ」と呼ばれる模様などを駆使し、一種の「かっこいい」「アートな」デザインとして罪の意識なく描いてしまうのだという。
たしかにイタズラ書きや落書きには独特のスリルと、書いたものが「作品」として残り人目につくという達成感がある。
すんどめも幼い頃は、バカ気の至りで公共物にアホな落書きを残してしまった恥ずかしい過去のひとつやふたつ、みつやよつ、ほのかに打ち光りてゆくもをかし。
また、本来は迷惑行為・犯罪行為に他ならないイタズラ書きではあるが、観る人を結果的に楽しませ、あるいはその芸術性によって感動を呼び起こす場合もあったりするから、かえってやっかいな問題ではある。

さて、ヨネクニの話である。
高3当時、すんどめはいつもヨネクニ、ヤマトヤ、ヒデオ(いずれも仮名)という3人の同級生とつるんでいた。
そんなある日、机の上に出しっぱなしにしておいた日本史の教科書をぱらぱらめくっていたところ、とあるページに掲載されていた、日英同盟を皮肉った1枚のマンガが、一瞬にしてすんどめの目を釘づけにした。
そのマンガは、おっかない顔をしたロシア人が栗を焼いているところへ、少年日本兵が文字通り「火中の栗を拾う」べく、歩み寄ろうとしている図柄である。
その日本兵の後ろには、大人のイギリス人がいて、かわいそうな日本兵をロシア人に向ってけしかけている。
さらにイギリス人の後ろには、アメリカ人がついている。
日露戦争前夜の国際情勢を見事に風刺したこの有名なマンガに、いつの間にやら、何者かによって、鉛筆で落書きがなされているではないか。

弱小な立場の、痩身の少年日本兵の頭の上には、「やまとや」。
彼をけしかけている太ったイギリス人の上には、「ひでお」。
そしてそして、そのさらに後ろにいて最強の立場の、長身のアメリカ人には(ここが肝心なのだが)……、「おれ」。
で、おっかない顔をしたマッチョなロシア人の上には「いわの」。

イワノ(仮名)というのは、当時の我々の鬼教師の名前である。
すんどめは腹がよじれるほど笑った。
下手に「おれ」などと書くから、誰が犯人かバレバレなのである。
ふつうに「ヨネクニ」って書けば、バレないのに。
さらに、ヤマトヤもヒデオもヨネクニもイワノ教諭も、それぞれ絵に描かれたキャラクターの体型と絶妙に一致しているところがまたウケるのである。
特にヒデオは、まさにこのイギリス人と寸分たがわぬ体型をしていたものだ。
鬼教師イワノも、マッチョさにおいて実にピッタリであった。
ヨネクニ(と明らかに断定できる落書き犯人)の筆跡は、小学生並みの乱筆で、おまけにぜんぶ平仮名であるところがまた、頭わるそうでグッド。
しかもヨネクニは日本史選択者ではなく、地理選択者であったところも、地味にポイントなのである。
すんどめは、こんな面白いものを消してはもったいないと思い、あえてヨネクニには何も聞かなかった。

遠藤周作はヒマになると作家仲間へイタズラ電話をかけるという趣味を持っていたが、
「いたずら電話のルールは、最後には正体を明かすことだ」
というような意味のことを言っている。
ヨネクニめ、わざわざ自分の正体がバレるように「おれ」などと書いたのは、イタズラの美学を貫くためか、それとも単なるアホか。
ヨネクニとは卒業以来会っていない。
が、いつか会って教科書を突きつけ、聞いてみたい気もするし、一生ナゾのままにしておきたい気もする。
奴の人生が絶頂のときに、この教科書を突きつけてやるのも面白い。
そのときが来るのを待って、今もこの教科書は、すんどめの本棚に大事にしまってある。

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