子どもだったはずの大人たち。怒りは負の感情なのか?
今日は、〈怒りは、負の感情か?〉ということについて、書いてみようと思います。
6月で8歳になった我が家の二男。初めて話した言葉は「じゆ~(自由)!」
楽しいこと、自由であることを大事にしているようです。
普段は楽しく愉快で、面白いことが大好きです。が、一度怒りスイッチが入ると物凄い爆発力。
遡ること、2年前。6歳の誕生日を迎えたくらいだったでしょうか、二男は、デュプロブロックで遊んでいました。
基礎板の下に車をつけたかったのに、そういう作りになっていない!と怒りはじめました。
「こうして遊びたいのに、なんでそういう風に出来ないようになってるの?コレ作った人、そういう風に子どもが遊ぶかもって考えなかったのかね?!」
あぁ、あるよね。そういうこと。気持ちはわかります。
そしてまだ怒りは続きます。
「作った人だって子どもだったはずなのに、なんで考えないかね?!」
そうですよね。
忘れちゃったりするんですよ、大人は。
自分が子ども時代に理不尽な思いをしてきたことも。
あなたのような子どもたちをみて、思い出したりもするんですけどね。
なんにしても、本当に申し訳ありません。
言葉にして表すこともあれば、言葉にならない怒りもある。
「怒り」も表現の方法のひとつだよね、と子どもたちを見ていると感じます。
大人はつい、喜怒哀楽、感じたことを言葉にして引き出そうとしてしまうことが多いのではないでしょうか。
もし、そこで言葉にできたとしても、本人が本当に感じているであろうこととはズレているのではないだろうか。
言葉にしてしまった時点で、本当に感じていたことと違ってしまうのではないか。
言葉数を持ち合わせない年齢の子どもたちを見ているとそんなことを強く感じることがあります。
言葉にすることで、大人の納得したい答えを導き出しているに過ぎないことも多々あるように思えるのです。
「怒りたい」のであれば、とことん怒るしかないこともある。
それが必要な時もあると思います。
まだ言葉に成り得ない気持ちを、言葉として表現させ、大人が納得したい要素として分析する必要もない。
怒ってる子どもたちを、
「あぁ、怒ってるんだねぇ。嫌なんだねぇ。激しいねぇ・・・どうにかならんかねぇ・・・いや、どうにもならないから怒ってるんだよねぇ。うん。でも、そんなに怒らなくってもいいんじゃないのかねぇ・・・」
とか思いながら見守るしかないわけです。
子どもが怒っていると親(大人)の心がザワザワするのは、自分が責められている気持ちになるからだと思います。
子どもは、別に親に対して怒っているわけでも、責めているわけでもない。
そこは分離して考えていいところなのですが、それくらい親、特に母と子って近い、ってことなんでしょうね。
でも、全く別の人間、です。
わかりたいとは思って努力はしても、決して同じようにはわかり得ない。
そもそも、怒りや悲しみは、全くの【負の感情】か、というとそうではないとのではないか。寂しいとかそういったことも。
それらをふまえ、まるっと含めることが、広くみてみると、「喜び」であるとも思えるのです。
怒りや悲しみや、寂しさを感じるから、感じられる喜びという感情がある。喜びの中にも、ちょっぴりの寂しさなり、悲しさが含まれているといえる気がしています。
「怒り」も「悲しみ」も「寂しさ」も一見、負の感情に見えるのですが、私には、「通過点」に見えるのです。
夫に、この話をしたら、「なるほど、〈ダメな状態〉とは、〈そうであってはならない状態〉ではないってことだね。」と。
私達は常に「良い状態」であることを「そうあるべき状態」に置き換えがちだと認識しておいた方がいいのだと思います。
大人は子どもや人が怒っていたり、泣いていたり、グズグズしたり、一見不快そうに見える状態を【そうであってはならない状態だ】と思っている。いち早く、【良い状態】に引き戻そうとしてしまう。
でも、思うのです。
怒りも悲しみも、寂しさも、喜びも本来はなんら変わりないものなのかもしれないと。その根源はきっと同じでなないのだろうか、と。
怒りは負の感情なのか?と考えると、【通過点】だと思います。
不快から快への通過点。
彼の言葉にならない姿は私に「言葉にすることが全てではない」「物事はまとめる必要はないし、そもそもまとまるものではない」といつも感じさせてくれます。
人は成長の過程の中で、少しづつ「不快」と「快」の振り幅が少なくなって行くことを経験の中から獲得していくのだと思います。
自分が生きやすい、本当に使うべきところにエネルギーを使うやり方を周りとの関わりや経験から少しづつ、自然と身に着けていくのだと思います。
彼がこれからも自分自身が大好きであり、自分の好きなことを十分面白く味わいながらやって行くことを邪魔しないようにしたいです。
私が、「お母さんが怒ると、りららに気を遣わせてしまうよね。ごめんね。」というと、いつもの笑顔で、「いいんだよ~いいんだよ~」と達観したお祖父さんのように言ってくれる二男。
そんな彼が、諦めたように、包み込むようにつぶやきます。
「大人って成長に時間がかかるんだよね・・・」
・・・ぐうの音も出ないって、こういうことだね。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!