「お母さんのことが嫌い」っていってもいいよ。
実は、このタイトルを書いただけで、ちょっとイヤになっています。
私自身は、「お母さんが好き」って言えたら良かったのに、と思っているからです。
生まれ育った環境や、自分の中で、親に対して肯定的であることは、とてもラッキーだと思います。
先日、私の母の話をしていたら、長男に、「お母さんは、自分のお母さんのこと、好きじゃないんだね。」と、冷静に言われました。
「あ~、そうだね。別に好きじゃないかな。」と、普通の会話の延長みたいに答えました。
静かに、そう思っているから。
「自分の親や家族を嫌ってはいけないのでは?」と何処かで思っていた時期がありました。
でも、自分が年齢を重ね、「親」と言われる立場にもなり、親を一人の人間として冷静に観察し、関わっていけば行くほど、そこに矛盾を感じて苦しくなるのです。
そして行き着いたのが、
「お母さんのことが嫌いでもいいんじゃない?親だから、嫌ってはいけないなんてこともないよね。」
そんな気持ちでした。
「親である前に、ひとりの人として、この人と付き合っていけるか?」
自分の子どもたちにも、そういう視点で自分を見てもらいたいと思っています。
子どもたちに、「お母さんのことが嫌いだ」と言われたら・・・
大人になった子どもたちに、「お母さんのことが嫌いだったんだよね。」と言われたら・・・
そりゃあ、傷つくし、落ち込むでしょう。
しかし、子どもたちがそう思うのであれば、それなりの理由が子どもたちにあると考えるのが、自然な流れかと思っています。
「子どもたちが、そう感じているという事実」を、どんなに苦しくても、受け入れる努力をすることしかないのだろうなぁと思っています。
「あらゆる事柄は概念でしかなくて、正しいとか間違っているとかはないのだよね。」と、大切な友人が伝えてくれました。
そして、ふと思ったのは、「愛されてるとか、愛しているとかいうことも、概念でしかないんだなぁ・・・。」ということでした。
親は子どもたちに愛を注いだと思っていても、子どもたちはそう感じていいないことも、十分にあり得るのです。
そして、それは、正しいとか間違ってるとか、良し悪しではないのだな、と。
単に、需要と供給が合っていないということなのだと思うのです。
ある雨の日。
退屈だから、と私の隣で夕飯の支度を手伝ってくれた長男が私の隣にいました。
なんの話から、この話になったのか、覚えていません。
思いつくままになんとなく、こんなことを話しました。
「親が子どもに愛情を注いで関わった、と思っても、子どもたちが必ずそう感じているとは限らないと思うんだよね。」
「だって、親子だって、違う人間だから、同じ様に感じられないことがあってもあたりまえじゃない?自分がしてほしかったことと、してもらったことが、合わないってことは、あると思うんだよね。」
長男は、話を聞きながら、鼻歌を歌い、手を動かし続けていました。
「だからさ、お父さんやお母さんがあなた大切に思っていても、あなたがそうは感じないことがあっても、〈お父さんやお母さんのことを好きじゃない〉って思うことがあっても、別にいいと思っているんだよね。そいうことは家の中だけでなくても、これから、たくさんあるかもしれないからさ~。」
ふ~ん、と鼻歌を歌いながらジャガイモを剥いていた長男は、さらっと言いました。
「自分は、愛されてる、って思ってるけどね。」
彼の表情は見えなかったし、敢えて見ようとは思わなかったのですが、いったいどんな顔をしていたのでしょう。
そう感じてくれて育っていることは、とてもありがたいし、嬉しいことだけれど、それに甘んじることなく、親として、人として、どう在るべきかをいつも自分に問いかけて生きていきたいなぁと思っています。
そして、いつ何時、「お母さんが嫌い」と言われることがあっても、それを受け入れる覚悟をしておこう。
長男のご機嫌な鼻歌を聞きながら、そんな風に思うのでした。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!