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どのくらい?を知りたがる大人たち。

相手の事を知りたいと思った時、あなたなら、どんな質問をしますか。

あるいは、しませんか。

子どもたちに大人が聞く。

「どのくらい好きなの?」

「どのくらいの時間、勉強してるの?」

「どのくらい知ってるの?」

どのくらい??????

こどもたちのこたえはだいだいこんな感じだ。

「ん~、わかんない。」

友人のお子さんがラジオに出演することになり、先日、収録があったそうだ。そのお子さんは、本を読む事が好きで、絵本などを含めて1ヶ月に100冊ほど読んでいるのだそうだ。そして聞かれるのは「本を何冊くらい読んだか」とか「どのくらいの数の本を図書館で借りるのか」とかだったらしい。

大人の物差しで計る場合、相手との関わりがあまりない場合、「どのくらい?」と聞くことは、話のつなぎになったり、他の人に説明しやすかったりする。あくまで大人の都合でのことなのだが。

例えば、我が家の子どもたちに「どのくらい昆虫が好きなの?どのくらい昆虫を採ったことがあるの?」「何種類くらい恐竜をしってるの?」「雪あそびは毎日何時間くらいするの?」と聞いたところで、子どもの真ん中の方には行き着かないように思う。

「なぜ、ここに興味を持ったのだろう?」と子どもの日々の様子を見てやりとりしながら、想像するしかないのだ。でも、それさえも、大人の想像でしかない。

本が好きな子の話に戻る。

1年生のその子は本を読む。沢山読む。本を読んで自分の時間を過ごしている。いろいろな本を読み、決まった傾向があるわけでもないそうだ。本を読むことで彼女の中で何が起きているのか、誰も知らない。その理由を大人が把握しようとする必要もない気がする。

その子は、「ああ、これはあの時に本をたくさん読んでいた事とつながっていたのか!」と、数年、数十年して思うことがあるかもしれないし、思わないかもしれない。それはどちらでもよいことで、「今、本を読むのが楽しい」という事実があるだけなのだ。

子どもたちが「楽しい」「好きだ」「やりたい」、と思うことを自分で見つけ、選び、やっている姿を眺めるのが好きだ。その世界をじっくり味わっている姿。邪魔しないように、そっと眺める。好きなことをして多くの時間を過ごすことは、とても心地よいことだ。好きだとか、楽しいとかを感じることは、これから先にあるかもしれない(もしかしたら、ないかもしれないけど。)大変さをクリアするときの手助けになると思う。

子どもたちの環境によっては、周囲の大人の「価値の置き方」に子どもたちが気がつき、その価値観に応えようとすることもあるかもしれない。何冊読んだとか、何種類知ってるとか、どれくらい学んでいるとか・・・大人にとってわかりやすい価値観で応えてくれようとするかもしれない。(我が家の子どもたちはそういった種類の配慮は全くない。もちろん、求めてもいないが。)大半の大人が重きを置こうとするその場所は、おそらく、子どもたちにとっては本当はどうでもいいところなのだと思う。 

相手の事を知りたいと思った時、あなたなら、どんな質問をしますか。

あるいは、しませんか。



学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!