漫画みたいな毎日。「折ること、結ぶことは、祈り。」
若い頃、百貨店のお歳暮やお中元の包装のアルバイトをしたことがあった。贈り物が、包装紙で美しく包まれていく様子に癒やされた。
今でも、買い物先で、店員の方が真新しい包装紙を台の上に広げ、さも簡単な事の様に品物を包んでいく姿を見かけると、手元の動きの素早さ、丁寧さ、美しさに目を奪われる。
熟練しているからこそ、その動きは簡単に見えるのだ。
私が、その難しさを知ったのは、アルバイトで包装する為の練習をさせてもらった時だった。その際にベテランの方から、特に大事だというポイントを2つ教えていただいた。
①包装紙が、包む対象に合った大きさであること。
②包装台が滑り難いこと。
①については、包装紙の紙質によっても、包み易いか、そうでないかはあるのだが、包装紙の大きさは、包み易さをかなり左右する。
それでも熟練した方は、たとえ大き過ぎる包装紙だとしても、端を上手く折り畳みながら、美しく仕上げていく。
②の包装台については、台が滑る材質だと、品物をしっかり包み込む時に滑ってズレてしまう。紙質もツルツルしていたら、さらに包みにくい。
上手く包む事が出来ない私は、自宅に帰ってからも様々な大きさの箱を集め、包む練習をした。何度練習しても、お客様の前で包装する時は、いつでも緊張していた覚えがある。
この事を思い出したのは、昨日、本の修繕をしている時、夫が、「本の修繕もそうだけどさ、何かを包んだり、折ったり、結ぶことも、祈りだよね。」と口にしたからだ。
〈包む〉という行為にどうしてこんなにも癒やされるのだろう?と気になり、〈包む〉の起源を調べてみた。
ご祝儀やお香典などを包むこと、さらには、水引きの結び方の意味など、それらの根底にあるのは、お祝いやお悔やみである以上に、相手への心遣なのかもしれない。身近な人の喜びごとを共に喜ぶ気持ち、悲しみごとに寄り添う気持ちをこめて包んだり、結んだりする。
折ること、結ぶことを調べる中に、一人の女性が思い浮かんだ。
佐藤初女さんである。
私が佐藤初女さんを知ったのは、20代の初めだった。
愛読していた「クーヨン」という雑誌で、初女さんがおむすびを作ってらっしゃる姿を見た時、とても静かに、「私がずっと探していたものはこれだ。」と思った。
その後、映画ガイアシンフォニーで、初女さんの暮らし方、生き方を拝見することができ、何度もこの映画を観るために映画館に足を運んだ。
このことが、その後、私が、おむすび屋を開店することになることのきっかけとなるのだが、それはまた書き改めたいと思う。
初女さんがおっしゃっていたこと。
「〈動の祈り〉は、生活そのものだと思います。生活している時の動作のすべてが、祈りにつながっていると考えて毎日を過ごすと、生活の中の些細な出来事にも、向き合う自分の姿勢が変わってきます。」
紙を折ることも、
水引きを結ぶことも、
おむすびをむすぶことも、
本を繕うことも、
何かを包むことも、
料理をすることも、
子どもの髪を結うことも、
生活の中における〈祈り〉。
そして、生活そのものが、〈祈り〉なのだと思う。
私は、自分でも知らないうちに、「祈り」というものに、心惹かれ、癒やされていたのだ。
私は、無宗教だ。
祈りとは、宗教の有無に関わらないと思っている。
祈りとは、すべての人の根底にあるものではないだろうか。
人々の行動の中に多くの「祈り」が込められいるのだとすれば、
まだまだ世の中は、世界は、捨てたものではないのだと思う。
子どもたちの、私たちすべての人間の、その行く先を心配し過ぎることなく、今日も、何気ない日々を、祈りと共に、過ごしていこうと思っている。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!