まずは、2019年を振り返る。

#note書き初め を見て、そういえば去年も書いたなーって思い出した。だけど、そもそも去年のことを振り返ったいないのでそこからやらなきゃなということで新年早々目標を立てるのではなく去年を振り返ります。

一言でいうと、怒涛

一言で言うと怒涛、というかシンプルにキツい1年でした。所謂文系大学生ってわりとゆるふわに4年間過ごせると思うんですが、誰しも4年次は苦行だなーと実感。(とか言ってるけどそこまでゆるふわな4年間ではありませんでした。)だって、ゆるふわーでやってきたのにいきなり就活!卒論!-この2つがでーんって来るわけよ。キツかった。

言うほどゆるふわな4年間ではなかったと書いたけど、それは教職課程をやってたからです。で、教師にはならないわけだから教職課程に加えて就活もしないといけなかったわけですよ。卒論も必修だったので、教職課程×就活×卒論=死。といったところでしょうか。

死の3weeks

勿論ね、この3つを器用にこなせる猛者もいるわけですよ。景気がいいとなんとかで2020卒の就活は売り手市場だったから就活生としては恵まれた状況で、平成のうちにさっさと内定貰ってる人は卒論や教職課程(実際のところ、最後のとどめ-教育実習)に集中できたわけだから。実際、教育実習生として受け入れて下さった学校(諸事情で母校ではさせてもらえず)の他の実習生の方々は本当に教師になりたい子か卒業後の進路が確定している子(就職先あるいは進学先が決定している)しかいなかったわけで、就活が本格化するあの6月になーんも決まってなかったのは自分だけだったな。大学の友達も院進か就職先決まっているかだったから、なおそうだった。

で、就職も決まっていないし実習中は就活不可能(実質約1ヶ月は就活できない)-これに追い討ちをかけるが如く実習リタイア寸前までいった。詳細は書けないけれど、心身のバランスを崩して鬱になりかけて、教科書開くだけで過呼吸・職員室に入るとまぶたの痙攣が止まらない-。就活もダメだし、4年間いろいろ犠牲にしてやってきた教職も最後の最後で打ち切りで、免許も取れず無駄になって呆気なく終わるのかーと病み極めていた。毎日、精神科とか心療内科ググってたな。なんやらかんやらあったけれど、いろんな人に支えられて実習は終えられました。だから、免許も取れるみたいです。ありがたや。でも、あんな3週間は2度とやりたくありません!というかやりません。

そして、魔の半年間。

就活は「実習があるから」とかなんとか言って初めて受けた面接が1月末。ですが、初めて内定を貰えたのが7月頭。いやいや、季節変わりすぎやろ。

1月・2月:インターンシップor説明会orバイト。この3択で人生を送ってた。

3月・4月半ば:説明会or面接orテストセンターorバイトor学校。教職をやっていたことからお察し頂けるかもしれないが、教育業界(進学塾)ばかり受けていた。教育業界は人生である程度受験勉強をしてきた人間からすれば最初の選考-筆記試験は余裕です。「早期に内定を貰えるから」という理由で見ていたIT業界はCABやらTG-Webがゴミほどできず適性がないのだなと思い、受けるのはやめた。でも、教育業界の中で最も行きたかったところの選考がどんどん進むものだったからITをやめたり試しに受けたベンチャーに落ちても「まぁ、1番行きたいところに受かればいいし、これは厄払い」とか意味不明なことを思っていた。

4月下旬:平成のうちに就活終わるんじゃね?というか終わらせたいわということで、1番行きたかった会社(教育業界のね)に「3日後、最終面接来れますか?」って不安気味に訊かれたとき、二つ返事で「はい!」と言ったわ。社長さんと正体はわからないけど偉い人と面接した。

4月30日(平成最後の日):このとき、世間は10連休だったけど私大は祝日も学校があったりする関係で個人的には9連休で、その内訳が4連勤1休(これが令和初日)4連勤。つまり、最初の4連勤が終わった時が平成最後の日だったのね。1番行きたかった会社って面接通過するといつも電話してくれるんだけど、電話来ないしいつ連絡来るのかなーGWだしなーとか思ってたらリ○ナビにその会社から不採用通知が。最終面接で落ちるんだーって感じだったし、4月なんてその会社に受かると思ってたから全然説明会行ってないし(持ち駒ない)、平成とともにいろいろ終わったなーって目の前が真っ暗。教育実習も迫ってたし。

5月1日(令和初日):この日は高校時代の友達と会う約束をしていたので会った。明治神宮と東京大神宮に行ったけど人しかいなかった。前日のアレでキャベジン飲みながらカツカレー食べた。その友達は平成のうちに複数内定貰ってたわけよ、で言われたのね。「就活始めるのが遅すぎるんだ」と。いやいや、教職課程途中で辞めた人間は黙ってて?みたいな、キレそうでした。自己肯定感がなんちゃら言って、傷つきたくなくてインターンシップに参加するための選考とか受けたことなかったわけよ、私は。でも、彼女はバンバンインターンシップ選考受けるためにやれESだ面接だOB・OG訪問だ早々やっていて就活にすごく慣れていたから、本選考でうまくいくのは当然のことだったんだよね。これに就活する中で薄々気づいていたからムカついたのかなーって今なら思う。

平成最後の日に不採用通知受けてから、「令和はもっと自分のほんとの気持ちを大事にしよう」って思った。平成の私は「どうせ結婚できない(プライドが高いので、できないではなくしないとしか他人には言わないが)から、社会貢献に人生賭けよう。将来世の中を引っ張っていくリーダーになるエリートを育てたほうが手取り早く社会貢献できる-じゃあ、進学塾で。結婚しない人生なら、せめてレディースデーの割引で映画行ったり空いてる時に美容院とか行きたいから平日休みがいいわ-やっぱり塾じゃん」と本気で思っていた。

でも、令和になって「自分のほんとの気持ち」と向き合ってみるとどうだろう。やっぱり結婚したいし、愛し愛されたし、自分に無理をさせる・する生活はもうやりたくないと思うようになって、教育業界を受けるのはもうやめにした。バリキャリはやめて、一般職とか事務職を見始めた。そして、いったんやめにしたIT業界をホワイト化が進んでいて手に職がつけられることから受けることにした。

5月(GW明け):なんかわからないけど説明会に行くしかなかったし、実習終わったあと(6月中旬以降)でも面接を受けられるか人事の人に訊きまくった。死んでいたのは就活だけじゃなかった。実習前に卒論の題目を提出しないといけないのに卒論も難航。2019年で1番スランプだった。そして、よくわからないまま先ほどの死の3週間に突入し就活は断念。(Webテストできればいいほうだった)

6月:死の3週間遂行。ここで学んだことがスランプ脱出のきっかけになった気がする。変な話、スランプがスランプを脱出するきっかけになった。

7月初旬:なんかよくわからないけど、御社から内定を頂けました。

ざっと書いただけでも就活は生き地獄だったな。(早くからちゃんとやればよかっただけ)これも2度とやりたくないので卒論を頑張りました。

 #note書き初め  に書いたことは?

自分に妥協しない、って2019年の #note書き初め に書いたのね。100%は達成してないかもしれないし、正直今日見直すまで何書いてたかなんて忘れてたんですよ。でも、ここでこうやって振り返ってみるとわりとできてるんじゃないかなと思うわけですよ。でも、やりたいと思っていることに、いろんな条件が合わないことを言い訳にしてやらなかったりが多かったな(学生だからお金がないとかクレジットカード持ってないとか)。そこを今年は少しでも減らして、やりたいことをすぐできる自分で在りたい。

今年の目標は、と言いたいところなんですが今回はここまで。


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