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隙間


その人の人生というか。生き様というか。


隙間から差し込んだ光がなにかを照らすように。その人の感情や思考、生活や生き方が浮き彫りになって。透けて見える瞬間が好きだ。


そうした瞬間を感じるひとつ。それは人が好きな曲を知ったとき。


その曲や歌詞の何がその人の琴線に触れたのか。どんな感情があるのか。そこに至った人生の軌跡はなにか。


想像というか妄想に近いかもしれないけども。そういうことを考えながら人が好きな曲を聴く。そうすると今まで聴いてきたその曲のイメージとはまるで違う景色が見えてくる。


最近、とある人から好きな歌として教えてもらった曲。



愛する人への気遣いと心配とにあふれた歌詞と旋律。


一人暮らしを始めて感じる寂しさとか。家族に愛されて育ったんだろうなとか。離れてみてしみじみ感じる家族の優しさとか。


何を思って聴いてるんだろう。


人が好きと言ったのがきっかけで。その歌の良さに気づいたということは多々あって。そうした歌を何度も何度も聴いて。その人の感情や生き方についてあれこれ思いながらしみじみの浸るのが好きだ。




思えば自分の仕事もそんな感じで。さまざまな人の人生の悲喜交交や生き様が垣間見えるもので。なんの裏付けもない妄想に近いことをあれやこれやと考えて。


面会にきた家族と、患者さんが話せれば患者さんも含めておしゃべりして。考えた妄想や想像が当たってたり外れてたり。


仕事の本筋からは離れてるかもしれないけど。そうして見えてくる人の生き方や信念、挫折や失敗、喜びや幸せを感じる度に。ああ、この人たちも生きてきたんだな。こんなこと感じてきたんだなと思いに浸る。


毎日のように家族が面会に来る人、週末だけ面会に来る人、緊急時に電話してもなかなか繋がらない人。面会が全くない人。


ほとんどの家族と絶縁してるのに、たった1人だけ面会に来る子ども。身寄りがなくて役所がサポートしてる人。


罵詈雑言を吐いていても家族が来た途端に満面の笑みで迎える人もいる。


いろんな人生や、家族との関係性がある。そういうのが見えてくると。辛くてきつい仕事の中でも楽しいと感じられる。



でも。そういう患者さんの背景となることに思いを馳せられなかった、暗黒の時代。それが数年に渡り世界を席巻したあの感染症だった。


ただただ。きつい日々。


いまでも鮮明に思い出す。


あれは感染症が広がり始めて2年目。寒さが増していく季節だった。


隔離された空間に響く人工呼吸器の音。寒さに弱い患者さんのために暖房をつけているせいで。外は寒さで厚着する人が行き交うにも関わらず。全身を防護具でまとわれた自分の額には汗が滲みだす。


激増する重症者に人工呼吸器も、ベッドも、スタッフも足りず。少しでも症状が改善すれば他院に転院させてさらに重症な患者を受け入れる。そんなギリギリの状態をなんとか破綻させずにベッドや呼吸器を回す日々。


いま。


目の前にいる人は人工呼吸器に繋がれ。パリパリに硬くなった肺がそれ以上悪化しないように全身麻酔をかけて呼吸を抑えている。当然。意識はない。


面会に来る家族もいない。いや、いないわけではない。面会制限で入ることができない。


目の前に横たわる人がどんな人生を歩んできたのか。その生き様や感情を汲み取るものが何もなく。ただ意識がない患者のケアを淡々とこなす日々。


身体の向きを変えようとする度に。だらんと、重力に逆らう力なく垂れ下がる手足を支えながら。この人はどんな人なんだろう。そう考える。




この人に初めて会ったのは呼吸器に繋ぐための管を口から入れる寸前のとき。夜の帷がすっかり落ちた寒空の中、曇るガラス戸の中で。夜勤でその部屋に入った時には。苦しくて息が上がっている患者さんと、医者と、先輩と。


″じゃ、あとはよろしくね″


そう言って出て行った先輩と交代して、薬を投与し、管を入れようとする医者の傍らで。眠っていく患者のことを考えることなく。ただモニターを見ながら慣れた処置を医者と共に手早く済ませる。


あまりにも悪い肺の状態ゆえに。その後すぐに全身麻酔をかけて、眠って。そしてその人は、そのまま目を覚ますことはなかった。


ECMOと呼ばれる人工の肺があればなんとかなったのかもしれないけれど。あの頃は何もかもが不足していて。その人に使うECMOがなく。


何日も眠ったまま。意思を通わすことなく。面会に来れないゆえに家族と話すこともなく。


いったいこの人はどんな人生を歩んできたのだろう。どんな生活をしていたのだろう。どんな思いで病院にきたのだろう。


何か言い残したかったことはないのか。残された家族のことをどう思っているのだろう。


まったく。まったく分からなかったし、思いを馳せることもできなかった。この人に限らずこういう人たちが何人もいた。それらの人たちに関しては。無、だった。いろんな患者さんと出会ったさまざまな記憶の中で。ぽっかりと暗黒の部分がある。そんなイメージ。


そういう経験をしてきたからこそ。


いま。

出会う人たち、友だちになった人たちのさまざまなエピソードに思いを馳せたい。自分の近くにいてくれる人たちの思いや感情、生き様を大事にしていきたい。


図らずも。先の歌の歌詞にこんな文がある。


元気でいてくれたら
愛する人がどこにいても
心から笑えますように
少しくらい嫌なことがあっても
今日を笑って終えてくれたなら
ただそれだけでそれだけでいい


そんな歌。


この歌を好きだと教えてくれた人が。そして自分の近くにいてくれ仲良くしてくれる友人たちが。この歌詞のような日々を過ごせますように。



だて。


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