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ネロの記憶、忘れたくないことなど

私の家のご近所の皆さんはみんな動物と暮らしていて動物が大好きで、ウチの猫たちのこともよく「元気?」「どうしてる?」など、気にかけてくださる方たちです。

ネロが亡くなってしまったことを話すと

「生き物を飼ってるとね、別れが切ないよね。」と一緒に涙ぐんでくれたり
「無理しないように、気をつけてね」と言ってくれたり、ハグしてくれたり
みなさんから温かい心遣いやお言葉をもらいました。

ああ、ネロはみんなに可愛がってもらっていたんだなぁと思いながら、こうしてご近所の方たちと仲良くできる絆でいてくれたんだと改めて気がつきました。

ネロが使っていた食器やマットを洗って、ひとまとめにして箱にしまいました。
2匹が1匹になって、ウチの中が広くて静かになってしまったことに驚きます。

今いる子(コブといいます)も、ネロを探して呼んでいるように思えます。
2匹はいつも近くにいるか、体の一部分が互いにくっついたり、そっくり同じ格好で寝ているくらい仲が良かったので、コブも1匹になっちゃって変な感じがして淋しいのかなぁって思います。

ネロが生きていた時間や存在にすごく意味があって、ネロが亡くなってしまったことで生活のリズムが、みんな一拍ずつズレてしまう。
そんな感じがして、ネロの不在に慣れなくて戸惑いながら生活してます。

先日、今年小学生になる親戚の子が、私のiPadの待ち受け画面にしてる猫の写真を見ながら
「僕がいたらネロちゃんが、近くにきてくれて触らせてくれたんだよ」と話をしてくれました。

ネロはこの子の記憶の中に残って「猫に触れた」という体験の一つとなって生きているんだなぁって感動しました。
ネロの存在はこの世界から離れてしまったけれど、思い出の中にいるんだナ、と思いながら話を聞いていました。

「動物の命は小さいから、消えたら土に還っていくんだよ。春が来て、草や花に姿を変えて、自然の循環の中にまた戻っていくんだよ」とお向かいのお年寄りが話してくれました。

「姿は消えてしまったけど、誰かの記憶の中や自然の一部分になって生きている。」
「花や虫に姿を変えて戻ってきてくれる」
「天国で再会できる」

などの言葉は、それだけずっと昔から、人は愛する者たちとの別れの痛みや哀しさや淋しさを経験して、いろんな言葉を使って気持ちを慰めながら、少しずつ喪失感を受け入れていったんだろうなあ。と想いを巡らせています。

生命力が眩しい春。
喜びの季節、生命の尊さをいつも以上に考える今年の春です。

死についての内容で、扱うのどうしようかなと迷いましたが、ネロが亡くなった痛みをいつか忘れてしまう前に、今感じることを残しておきたくてnoteに書きました。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。

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