大人のADHDについて 私が大人のADHDを診療するようになったわけ まとめ
私が大人のADHDを診療するようになったわけについて、8回に分けて記事を書かせてもらった。今回それらをまとめた記事を作成した。内容を集めて、文章として読みにくい部分を加筆修正してみた。お時間のある方は目を通していただけると幸いである。
なぜ大人のADHDをみるようになったのか
「大人の発達障害をみている診療所はここしかないと言われた」と、初診の時に話す患者さんがいる。私は地方都市で開業しているが、それでも街の中心部と言われるところで仕事をしており、とんでもなく田舎ではないという認識をしている。まわりに病院、診療所はいくつもある。それでも、「大人の発達障害」をみているところは少ないようである。
「大人の発達障害」と言われるものには大きく分けて、ADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)がある。私はADHD診療にはだいぶ自信がついたが、ASDはまだ勉強中だ。なので主にADHDについてこれから少しずつ書いていきたい。
まず私が、なぜ大人のADHDをみるようになったのか、そのことを振り返りながら、今どうして大人のADHDをみてくれる診療所が少ないのか、そのことを考察していきたい。
子どもの発達障害を診る難しさ
大学を卒業し、医師になった私は、精神科医になろうと思い、精神科の医局に入った。当時は児童・思春期を専門とする医師が何人かいて、夕方に発達障害のお子さんたちを集めてグループでの治療をしていた。発達障害の勉強会もあった。
そこで感じたのは、発達障害を診る「難しさ」だった。子どもはまず、自分の気持ちをうまく表現できない。本人に聞いても、困りごとを話せないし、そもそも病院に嫌々来ている子も多い。大人であれば、自ら困りごとを抱え、何が苦痛なのか話してくださる方が多いが、子どもはそうもいかない。仕方がないから親から話を聞くようになる。親は困りごとをたくさん抱えているので、いろいろな話をしてくれるが、どう聞いても「子どもの悪口」にしか聞こえないような話も多い。そうすると、それを子どもと同席で聞いていいのか、親だけから聞いた方がいいのか、どうしたらいいのか新人の私にはさっぱり分からくなってしまった。
先輩医師に聞くと、それは「ケースバイケース」だと言う。状況を見て、親からだけ聞くこともあるし、同席して聞くこともあると。その辺りは雰囲気を見て決めるので、まさに「医者のカン」と言うやつなのだろう。
はなっからの理系人間で数学大好きの私からすると、そんな曖昧なことを仕事にすることがとても自信が持てなくなった。子どもの心のケアがしたくて精神科医になりたいと思っていたので、しょっぱなから挫けてしまった感じだ。なのでまず、一般的な大人の精神医学から身につけていこうと決心し、子どもの発達障害を積極的にみないようになった。
まずは大人の治療を担当すると決めて、日々診療に勤しんでいた私だが、いろいろな紆余曲折を経て、摂食障害の患者さんを診る機会が増えた。摂食障害は、思春期に発症することの多いものなので、必然的に思春期年齢の方の担当をすることが増えた。子どもは難しいなと思いながら、摂食障害の方を診るようになった経緯はまた別の機会に書きたいと思っているが、とにかくそこで、思春期の心の動きというものを学ぶ機会を増やすことになった。なんでも知るというのは大事なことで、知識を得れば対応できることが増える。かつての苦手意識が少し和らいでいくようになっていった。
本当に休めない人がいることに気づく
そんな中、うつ病を患った患者さんの担当をしていたときに、まず休養してほしいと伝えた時に、「どうやって休めばいいのですか?」と質問された。この質問自体は以前もよくあって、その都度「仕事も家事もしないでとにかくゆっくりしてください」といった、今思えばすごく曖昧な返事をしていた。うつになる人は真面目な人が多く、休むことに罪悪感を持っていてそのような質問をするのだと思い、今は休んで良い、休むことは悪いことではないといった説明をしていた。しかし、そうではない人が時々いることに気づいた。本当に休めないのだ。
時間があれば動いていたい、というか、何もしないでいることの方がかえって苦痛でたまらないというのだ。これは一体どういうことなのだろう?と思いつつも、とにかく今は動いてはいけないという話を繰り返ししていた。でもそういう人は、少しうつが改善するとすぐに動き回ってしまい、またうつが悪くなるということを繰り返していて、なかなか状態が改善しなかった。今思えば、背景に「大人の発達障害」の問題があったのではないかと思う。
ADHD治療薬が大人に使えるようになる
大人の治療を担当しながら、どうにも理解できないことが増えていた状況の中で、それまで小児にしか使えなかったADHD治療薬が大人に使えるようになった。2012年に、ADHD治療薬のストラテラ(アトモキセチン)が大人に適応拡大になったのだ。治療薬ができるというのは本当にすごいことで、そこから製薬会社さんがすごく力を入れて薬を売りにくるようになった。
ストラテラの会社は薬を売る戦略に長けているという評判があった。いろんなメディアを駆使して、「大人のADHD」という概念を作り上げていった。ある意味、製薬会社に踊らされているという批判もあるが、いいところもたくさんあって、勉強する機会がものすごく増えたのだ。全国の有名な先生の講演会をたくさん聞けるようになった。地方でなかなか学ぶ機会の少ない環境にいるものにとってこれはすごくありがたかった。
この頃私は勤務医だったが、当時私の職場に来ていた製薬会社の営業さんはすごくできる人で、当時のボスにもものすごく気に入られていた(そしてイケメンだった)。その営業さんから、大人のADHDの評価スケールが開発されたので使用してみて欲しい、ボスには了承をとっているという話を持ちかけられた。
それは簡単な自己記入式の評価スケールで、忙しい外来でも使いやすそうに見えた。患者さんにチェックしてもらい、気になる点が多い人には詳しく問診して、ADHDかどうか診断する、というものだった。ボスからもOKが出ていたので、早速私は簡単な調査計画を企画し、患者さんに同意をいただいて、外来で使用させてもらった。うつ病や不安障害、摂食障害など、ADHDではない理由で外来通院中の方にこの評価スケールをつけてもらい、医者が見落としている/あるいは患者さん自身も気づいていないが実はADHDであった、という人がどれくらいの割合でいるのか調べたのだ。しかしこの結果に私は驚くことになる。
ADHDに関する調査結果
今から8年ほど前に、私の外来に通院中の患者さん21人に、大人のADHDの自己記入式症状チェックリストに記入をお願いした。結果としてある程度の期間(半年以上、実際には年単位で通院している人がほとんどであった)通院している方ばかりにお願いすることになったが、それは通院歴が長い方だと、調査の意図を説明して協力をお願いしやすかったということもある。
調査の結果は、チェックリストを記入した21人の患者さんのうち10人が陽性、というものだった。その10人の方に、これまでの困りごとや学生時代の話などを伺い、可能であれば家族からも話を伺って、ADHDと診断して差し支えないという結論に至った人が7人だった。
治療がある程度継続している(言い方を変えると経過が長期化している)人のうち3分の1の人がADHDであったということに、私は正直衝撃を覚えた。もちろん21人というのは多い数ではないから、これをもって、精神科/心療内科に長期通院している人の3分の1がADHDであったと結論づけることはできない。でも私が想定していた以上にADHDの方がいることに驚いたし、同時に、それだけ私が見落としていた、気づいていなかったことにもショックを受けた。
この頃私は大人のADHDについて勉強するようになっており、大人のADHDにはどういった症状があるのか、知識は深まっていた。それでも、短時間の診察では気づけないことも多く、また、患者さんの方も、話さなきゃいけない症状だと思っていない(そもそもそれは自分の個性であって医者に話すようなことだとも思っていない)ため、患者さんがADHDの症状を抱えていることをキャッチできずにいた、というわけだ。
しかし、落ち込んでばかりもいられない。せっかく診断に至ったので、お薬を試そうということになった。ADHD治療薬を試した方は、7人中5人だった。そのうち3人は、明らかに試す前より状態が安定した。お薬を試さなかった人や、お薬で効果が得られなかった人でも、背景にADHDがあるとわかったことで、生活で気をつけることや、ストレスになりやすいこと、日々困っていることなどが理解しやすくなった。
苦手だからともう逃げられない
発達障害に対して苦手意識を持っていた私だったが、現状で自分が担当している患者さんの中に、すでに発達障害の方がいたことで、これはもう逃げることはできないと感じるようになった。おそらくこれからは、発達障害についても知識を持ち、対応できるようにならないと、治療がうまくいかなくなる。発達障害は、もはや児童精神医学を専門とする、精神科医でも特殊な人たちだけが診療するものではなくて、うつ病のように、精神科医なら誰でも対応できるようにしていかないといけないのではないか、そのような気持ちは徐々に大きくなっていた。
ちょうどその頃、前述の調査をしたことで、製薬会社さんから依頼を受け、いかに精神科の一般外来に発達障害の方が潜んでいるのか、そのことを報告させていただく機会を得るようになった。講演といっても、規模の小さいものから始まったのだが、徐々に依頼の回数が増えてきた。発達障害の専門家でもない私になぜこのような依頼が来るのか、最初は不思議でたまらなかった。しかし講演依頼をこなしていくうちに、大人の発達障害の診療をめぐる様々な問題を色々と感じるようになった。
まず、これまでは発達障害は児童精神医学を専門とする、精神科でも特殊な医師たちが担当することが多かったが、彼らは逆にその特殊性ゆえ、児童を治療するので手一杯で、成人まで診療するのが実際のところ困難であることが多いという問題。
特に私のいる地方では、子どもの発達障害は小児科の先生方が担当してくださっていることも多く、そうなるとさらに大人の診療までは難しいという現状がある。
それから、ADHDは特に、思春期、成人期に移行していく中で、症状や行動様式が変化し、小児とはまた違った目線、対応が必要になってくること。そして、「大人のADHD」という新しい分野に取り組もうとしている医師が圧倒的に少ないこと。
ADHD症状の困りごと
「大人のADHD」で困っている人はたくさんいるのに、どこに相談に行けばいいのか、患者さんも困っている状況にあることが見えてきた。そして、実際通院している患者さんに、困りごとをちょっと詳しく聞くと、それはADHD症状と思われる要素があることに気づくようになった。
例えば以下のようなことだ。
・ネットショッピングや通販などでいいなと思ったものをすぐ買ってしまう。買った時は使うつもりでいるのだけれども、結局開封することもなく納戸行き。納戸もあふれかえっているのに、やっぱり欲しいものがあると買ってしまって、そのことで夫と毎日のように喧嘩になる。
・ママ友とあって話をすると、つい余計な一言を言ってしまう。それで嫌な顔をされて、しまったと思うんだけど、ママ友が集まっているのをみると、つい話の中に入ってしまって、なんだか最近避けられるようになってきた。友人関係がいつもうまくいかない。
・片付けが苦手で、部屋は寝るところ以外足の踏み場がないレベル。鍵やスマホがどこに行ったかわからなくなって探すことも多い。さっきまで持っていたはずのスマホが気が付いたら手元になくて、どこに置いたのかさっぱり覚えていない。
・好意を持っている相手に、再々LINEや電話をしてしまう。しつこいとかえって嫌われることは分かっているが、どうしても我慢ができない。
・会議中は起きていないといけないと思っているが、どうしても寝てしまう。
・電話の取り継ぎが苦手。相手の言っていることがわからないわけではないが、電話を切った後どこの誰で何を誰に伝えなければいけなかったのか、具体的なことがさっぱり思い出せなくて困る。
・浮気ぐせが治らない。好きになって付き合っても、しばらくすると飽きてしまい、すぐ別の人に乗り換えてしまう。
検査の必要性
しかし、このような困りごとはADHDの人に多く見られるものの、ADHDではない人でも同じようなことに困っている人もいる。そもそも、ADHDの特性がある人と、そうでない人の境とは曖昧で、どこかにはっきりとした境があるものでは無く、連続性のあるものだ。なのでADHDの特性が強いか、弱いか、という問題になってくる。
患者さんの話を聞くだけでは、自分の問題を大きく誇張して話す人もいれば、小さく見積もる人もいる。問診だけで診断をつけるのは難しいのではないかと徐々に感じるようになった。
また、問診で症状を確認し、「あなたは大人のADHDと思われます」と伝えると、「そうなんですね!では検査で確認してください!」と言われることが増えた。患者さんは、医者が丁寧に問診しないと不安だが、問診だけで確定診断がつくことも不安なのだ。こと発達障害になると、きちんと「検査」をして欲しいという希望が増える。
当時はまだ「公認心理師」が国家資格化しておらず、医療の現場では心理士さんは「無資格者」であまり立場が強いとは言えなかった。大学病院で正式に心理士さんを雇用してもらえておらず、精神科独自で、研究費から費用を捻出して心理士さんを雇用していた。なので、研究に関係のない仕事を頼むことははばかられたが、空いている時間なら対応しても良いということで、外来の仕事も手伝っていただいていた。
あまり十分に時間があるとは言えないなかで、心理士さんに相談し、たちまちは知能検査(WAISと呼ばれるもの)を実施してみてはどうか、という話になり、希望者に対して、心理士さんがWAISを実施してくれるようになった。
WAISではその人の能力パターンがわかり、これはこれで非常に参考になった。しかし、WAISの結果だけを見て「だからADHDです」「だから発達障害です」と言えるものではなかった。ADHDの人でも、WAISの結果はいろんなパターンがあり、比較的多くみられるパターンはあるものの、それだけで確定することは困難だった。
そこで、また研修会や講演会に参加して、色々と情報収集し、CAADIDという検査がよく行われているらしい、と知って早速行ってみることにした。この検査はADHDに関して詳しく聞き取りを行うことができて良かったが、医療報酬で点数化されていないという問題があった。つまり、心理士さんに1時間くらい時間をとっていただいて検査をするのに、病院は患者さんに1円も請求できないのだ。これはおかしな話だなと思った。それでも大学病院なので実施することができたが、開業した場合はこれは少し問題があるなということも考えるようになった。
そして開業へ
そんな試行錯誤を繰り返しながら、外来で大人のADHDの診療を行うようになって少し経った頃、私は医者になった頃からの夢だった開業をすることにした。開業にあたっては、いろんな方に相談し、意見を聞いた(開業も大変な作業だったので、いつか記事にしたいと思っている)。
私は自分の診療の得意苦手が結構はっきりしていたので、最初からある程度専門性の高い診療所として開業したいという思いがあった。しかし、それは当時のボスに反対された。最初に専門性の高い診療所を開業したのちに、患者さんがあまりきてくれずに、やむを得ず専門外の方も診療するようになると、明らかに「流行っていない」感じがして、印象が悪いというのだ。大変でも最初はしばらく苦手なものも含めてなんでも診療させてもらい、経営が安定してから専門性を絞った方がいいとアドバイスされた。
これは私は非常に納得した。しかし、ある程度、どんな方を診療しているのか、HPに書くことにした。そこに「大人の発達障害」も診ている、と書いた。随分と迷ったのだが、私のいる地方では大人の発達障害を診ている医者が本当に少なかったので(これはどうやら全国的にもその傾向があるようだ)困っている人が多いのではないかと思ったことと、開業するにあたり、発達障害の対応経験のある心理士さんが一緒に働いてくれるようになったことも後押しとなり、広告することにした。
すると、私が想定していた以上に、たくさんの患者さんが相談に来てくれるようになった。他の診療所からの紹介も増えた。気がつくと、私の診療所は、このエリアでは「大人の発達障害を診てくれるところ」として認識されるような診療所になっていた。
今でも、児童精神医学を専門としてこなかった私が「発達障害」を診療しているという違和感は大きい。しかし、たくさんの方の話を聞き、経験を重ねるというのは、それなりに価値があることとも思っている。こんな経緯で「大人のADHD」を診療するようになって、そんな中で見えてきたことをこの後お伝えしていきたい。
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