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ソースとマヨネーズ

お好み焼きという食べ物の上で、ソースとマヨネーズは長年に渡り絶妙のコンビネーションを育み続けている。この世には「私はソース嫌いだわ」「私はマヨ抜き」「どっちも嫌いだからお好み焼きは食べないの」という方もいると想定されるが、ここではお好み焼きにかけるそのソースとマヨネーズがセットで大好きという私の感覚での妄想ということで書いてみる。

ある日突然そのソースとマヨネーズが意志を持ち始めたのだ。まるで容器に顔が現れて、可愛い声で喋り出すキャラクターのように。しかし、ソースとマヨネーズはそのセットで食べるのが大好きだと言っている私の気持ちは知らない。「私たちにはそれぞれ可能性があるわ」「進化したいの」と、ソースはタルタルソースを連れてきたり、何を思ったかポテサラを連れてきてお好み焼きに乗っかった。マヨネーズはケチャップや時にはぽん酢を連れて乗っかった。そのうちゴージャス感を出したいのか、「わたし、こことも繋がってるの」と世に知らしめたいのか、3種乗りや4種乗りをし始めた。でも、私にとってはどれもそんなに美味しくなかった。そして何よりも寂しかったのは、私の好きなそのソースとマヨネーズそれぞれの良さが消されてしまっていることだった。その組み合わせがお好み焼きの上で輝き、お互いの美味しさを尊重し合って絶妙の味になっていたのに。ラーメンのトッピングならいろんな選択肢があったりどんな組み合わせでも大抵美味しいけれど。お好み焼きのソースとマヨネーズはお互いにお互いの代わりはいないように思う。こういうのを運命の組み合わせっていうのだろうな。まあ大きなお世話、ともいうのだろうな。そう思いながら、今後もいろんな組み合わせでお好み焼きに乗ってくるソースとマヨネーズに楽しく突っ込み入れながら私は食べるだろう。で、ついでに毎回写真も撮っておくのも忘れてはいけない。と、ここまで妄想したところで気がついた。

そもそも私はソースもマヨネーズもそれぞれ普通に好きで、別にお好み焼きばかり食べていたいわけではない。お好み焼きの上でそのペアが輝いて欲しいというのは私の願いではあるけれど、ソースとマヨネーズ自身がどうなりたいかは自由だ。好きならばソースとマヨネーズの気持ちを尊重して受け止めようではないか。ソースとマヨネーズが楽しそうならそれで良いではないか。スッキリしたようなお腹いっぱいのような。ということで腑に落としたとさ。


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