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中上健次『岬』

以前、ツイッターで高山京子さんにご紹介いただいだ中上健次の『岬』を読んだ。

田舎の、複雑な血縁関係がもたらす近親憎悪。ここまで複雑・深刻ではない(はず)とはいえ身につまされる感もあった。

月並みで野暮な感想になりそうなので、あれこれ書きたくはない。

内容は深刻。登場人物の相関関係も正直ややわかりにくい。それでも読ませるのは、きっと、文章のテンポ、切れ味が良いから。

土方は、彼の性に合っている。一日、土をほじくり、すくいあげる。ミキサーを使って、砂とバラスとセメントと水を入れ、コンクリをこねる時もある。ミキサーを運べない現場では、鉄板に、それらをのせ、スコップでこねる。でこぼこ道のならしをする時もある。体を一日動かしている。地面に坐り込み、煙草を吸う。飯を食う。日が、熱い。風が、汗にまみれた体に心地よい。何も考えない。木の梢が、ゆれている。彼は、また働く。土がめくれる。それは、つるはしを打ちつけて引いた力の分だけめくれあがるのだった。スコップですくう。それはスコップですくいあげる時の、腰の入れ方できまり、腰の力を入れた分だけ、スコップは土をすくいあげる。なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というものがない。彼は土方が好きだった。

中上健次『岬』より(以下同じ)

彼は、一人残っていた。腹立たしかった。外へ出た。いったい、どこから、ネジが逆にまわってしまったのだろう、と思った。夜、眠り、日と共に起きて、働きに行く。そのリズムが、いつのまにか、乱れてしまっていた。自分が乱したのではなく、人が乱したのだった。ことごとく、狂っていると思った。死んだ者は、死んだ者だった。生きている者は、生きている者だった。一体、死んだ父さんがなんだと言うのだ、死んだ兄がなんだと言うのだ。

短文で畳みかける。テンポの良い文章のなかにスッと真理(のような、「そうだよな?そうだろ?」という、読み手への問いかけでもあるかのような断定)が書き込まれている。


物語上、いちばん痺れた一文はこちら。この場面。主人公の心はいまにも壊れてしまいそうだ。

もろい、どちらか一人が踏みはずせば、壊れてしまう家だった。


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