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10年後も同じ弁当

二日前に作った野菜炒めをお弁当用タッパーに詰めてうんざりする。

最近のお弁当は、主食を豆腐半丁にして(白米を削ると見せかけの体重がするすると減ってくれるから)、その上におかずになるものをかける。別タッパーに100円で売られる袋入りの千切りキャベツを詰めて終了だ。昨日も同じものを持って行った。ちなみに朝食は豆腐半丁、納豆、千切りキャベツ、おかずになるもの……書いていて気づくがお弁当とほぼ同じメニューだ。それを連日食べ続けている。

早朝5:30、タッパー作成をしながら憂鬱な気持ちになる。全部味の想像ができる。そんなときにぼんやり、この先仕事もお弁当と同じかぁ、と思う。5日働き、2日休み、5日の中で嫌な先輩のことで思い悩み死にたいと思い、2日の中でお金がなきゃ生きていけないと思い直し、それを何十年。時間の膨大さに圧倒されて打ちのめされそうになる。無職時代に比べれば、定職もあり、生き延びれる食事もつくれて、なんの不足があるのかと思うけど、もはや物語のテンプレとなっている異世界転生ものや、日々の繰り返しにうんざりした人間が不思議な力を持ったりする話に根強い人気があるのは、こうであったら良いのに、という不特定多数の強い思いがずっとあるからなんだろう。

物語では大きな転換点が与えられ、主人公が動かざるをえない。だけど日常には突飛なことは起こらない。受け身のまま時の流れに身を任せ続ければ、自分にとっての良い変化が起こるかどうかは運任せのまま年をとる。超受動テレサ・テン状態を防ぐために、私にできること。それは、味の想像のつかないお弁当を作ること。初めての料理を作り、食べてみることだ。

スーパーで見かけた99円特価のゴーヤを思い出す。冷蔵庫には半額シールが貼られた豆腐半丁、1/3残る豚こま。明日は作ってみようゴーヤチャンプル。苦いというイメージで手をつけてこなかった料理。人が避けるはずの苦味を活かしたあの料理。今抱えている苦さだって、少しの自分の味付け次第できっと美味しく変わるのだ。閉店後のスーパーのひんやりした棚の中、静かに眠るゴーヤに思いを馳せる。私もエアコンのスイッチを入れて、ベッドに沈んだ。

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