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必ず還ってくるんだなあ。

秋を感じるようになってきましたね。

今日も傾聴における〈一致〉について深めていきます。

〈一致〉とは・・・

『セラピストはクライエントとの関係の中で自己の内的な体験に気づき、ありのままの自分でいようとする。つまり、関係の中でセラピストが体験していること(体験レベル)と、意識していること(意識レベル)とが一致しているということである。』

短くまとめると、体験していることと意識していることが一致→『ああ、私は今、こんな風に感じているんだなあと、自分を認識すること』これが〈一致〉なのかなと私は思っています。

一方で、〈一致〉という言葉は矛盾するときもあるようです。

というのが、まさにその時、自分が〈一致〉や〈不一致〉であることをに気づくことができない時もある、ということです。

パートン(Purton 2004)は、父親に対して「尊敬している」と言っていた男性が、治療過程を通して、自分が父親を「憎んでいる」と気づいたという例を挙げている。この気づきの前まで、この憎しみの体験を持っていたといえるだろうか。(中略)もし〈不一致〉という状態が、セラピストが自分でも意識していない体験をすることであるなら、どうやってセラピストは自分が不一致であることを知ることができるのだろうか。

ということで〈一致〉は矛盾する?それなら〈真実〉が適切じゃない?とも言われているようです。

人がその人自身であり、より自分らしく生き、表現することが、健康でありセラピーの目的であることは確かであるにしても、そのようなあり方を示す用語として《一致》はふさわしくない。

セラピストとして、自分を偽らない、というのが大事と言う意味で〈真実〉といわれる方もいるようですね。

この引用でちょっと腑に落ちた気がします↓。

私の反応は私達の相互作用の一部である。それはクライエントに返さなくてはならないし、それによってクライエントが、相互作用の、今は私の側に起こっているその部分を次に進めることができる。もし私が反応を返さなかったら、私たちはそこで行き詰ってしまう。(中略)つまり、私は、応答の際、自分の反応を正直に、反応を見える形で返さなくてはならないし、クライエントが私の中に起こしたことに対してさらに応答できるよう行動しなくてはならない。

この引用から、私達は「相互作用」の中で生きているのだなと実感です。

人は自分の”鏡”と言いますが、まさにそうだなあと、かみしめました。

※引用は全てロジャースの中核三条件〈一致〉村山正治 監修 創元社 よりです。


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