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【小説】ユウ、また鍵なくしたね(part1)


 腹が減ったので、目についたコンビニに入った。安くて腹がふくれそうな、賞味期限切れ間近な惣菜パンとおにぎりを数個づつと、ビールのロング缶を二本を抱えてレジに向かう。支払いはスマホの決済を利用した。いきなり家を追い出されたので、財布など持っているわけがない。近くのしょぼい児童公園のベンチで、パンをむさぼり食い、ビールを飲んだ。砂場とすべり台で、若い母親たちが子どもを遊ばせていた。昨日の夜もこのベンチで寝た。十月に入って肌寒い日が続いたが、幸いにも昨日から夏に戻ったような気温が続いていたので凍えずに眠ることができた。ウインナーを挟んだ脂っぽいパンを食べ終え、ひとまず腹が落ち着いたところで、急に何ともいえない不安がこみあげてきた。
 おれは、数ヶ月前に勤めていた会社をやめ、今は完全無職だ。しばらくぶらぶら気ままにくらしていたが、ここ最近、やけにおやじがうるさく再就職を迫るようになった。おやじは自分がいい大学を出て、都市銀行でけっこう出世していることを鼻にかけて、子どもの頃から出来の悪いおれを見下していた。おれは自分では決して頭が悪い方だとは思っていない。読書は大好きで、小学校の時、一度だけ感想文で賞をもらったことがある。学校の成績が悪かったのは、おやじに対する反感から無意識に勉強嫌いになったせいかもしれない。結局、おれは、Z級の私大を出て三流の医療機器卸売会社になんとかもぐりこんだが、もともとやりたくもない仕事な上、営業のノルマがきつく、数年で嫌気がさしてやめてしまった。
 おやじと大げんかしたのは、昨日の夜のことだった。いつまでもぶらぶらしていることをぐちりだしたおやじをおれは殴ってしまった。ぶらぶらしていることを一番あせっているのはこのおれなのに、傷に塩を塗るように文句を言われてキレてしまったのだ。これまで何度もおやじと喧嘩をしたが殴ったのは初めてだった。おやじは激怒して、出て行け、お前なんかもう息子でも何でもない、もう二度と帰ってくるな、と怒鳴り、おれを自宅マンションから追い出したのだ。おれを廊下に突き飛ばして、ドアを閉めぎわに、おやじがおれに吐いたことばは、「このクズ!」だった。さすがに母親が止めてくれるかと思ったが、おれたちのことなどまるで無視して、洗い物を続けていた。昔からそうだ。何が起ころうが、ただ無表情でじっとしているだけだ。幼い頃に、おれが、台所でコンロの角に頭をぶつけて血を流した時も、ただじっと、床にこぼれる血を見つめているだけだった。現実に向き合うエネルギーさえないのかもしれない。よく今日まで生きてこられたものだ。
 当初は、それほど大げさに考えていなかった。明日になればおやじの怒りもおさまっているだろう。一晩くらいなら野宿して帰ればいい。そんな甘い考えを抱いて、翌日、夕方、おやじが帰宅する前にマンションに戻った。家の鍵ならいつもジーンズのポケットに入っている。アを開けようとしておれは愕然とした。鍵が入らないのだ。しばらくがちゃがちゃやって、おれは気づいた。鍵を変えられたのだ。つまり、おやじは、本気でおれを追い出すつもりなのだ。
 おれは、放心状態であちこちさまよった。どこをどう歩いたのかわからなかった。ぜんぜん見知らぬせまい路地をあちこち歩き回ったような気がするがひょっとすると、ゆうべベンチで見た夢とごっちゃになっているかもしれない。
 ビールを二本飲んでしまうと、ちょうどいい具合に酔いが回り、コンビニの戻り、ワンカップを買った。一本目の半分ほど飲んだところで、少し離れた隣のベンチに、大学生くらいの男女二人連れがやって来た。二人は、顔を近づけ合って、ささやくように話していた。雰囲気からおそらく恋人同士なのだ。まかないが、とか、時給が、とか言うことばの断片からバイトの話しでもしているのだろう。大学生でもバイトで金をかせいで恋人までいるというのに、四捨五入すれば三十のおれは仕事もなければ恋人もいない。
 けたたましい嬌声が聞こえてきた。赤いワンピースの女児がすべりだいの斜面にボールをすべらせるように上らせ、すべり落ちてきたボールを受け、また上らせるていた。何がおもしろいのかわからないが、女児は狂ったように笑いながら執拗にその行為を繰り返していた。幼いころは、なんでもないことが面白くてたまらなかった。社会人になってからは、おもしろいことよりもいやなことの方が断然多くなった。女児の笑い声に、おれは、だんだんといらだちを感じてきた。母親らしき女はママ友っぽい別の女と話しに興じている。いらだちは、だんだんと怒りに変わってくる。女児の声は確かに耳障りだが、別に騒音とほどのものではないし、そもそも子どもというのはうるさいもので、それがかわいく思える人もいるらしく、現に、まぢかでシルバーカーに腰かけている老婆は、やわらかな笑みをたたえながら女児を見守っている。実は、おれは、幼い子どもというものが、目にするだけで暗い気持ちになるたちで、電車内などの逃げ場のない場所で騒がれたりすると怒りを通り越して殺意さえ抱いてしまう。何かの本で読んだが、幼いころ親に無視されたり邪魔げにされたり、きちんと愛されなかった人間は、成人後、子どもを嫌うようになるらしい。自らのうすら寒い幼年時代を想起してしまうのだ。
 おれは、かげろうのように脳裏にしみ出してきた子ども時代の思い出をかき消すかのようにワンカップの残りを一気に飲み干した。女児は相変わらず騒ぎ続けている。自由奔放は子どもの特権のはずなのに、おれの子ども時代は、常に親の顔色をうかがい続けて自らを押し殺すことにエネルギーを費やし、あんなふうに騒いだことなどほとんど記憶にない。
 すべり台では、赤ワンピースよりもう少し年齢の低い赤ん坊に毛の生えたような男児(たぶん)が加わってボールを赤ワンピースに先だって奪い取ろうとして、それを阻止しようとする赤ワンピースとの間で阿鼻叫喚の騒ぎが繰り広げられていたが、二人の母親は自分たちの話しに没頭している。かたや、となりのカップルは、すべり台の騒動などまるで気にもならないのか、顔を寄せ合って自分らの世界に没入していた。シルバーカーの老婆はいつの間にか消えていて、児童公園の中で、ただ一人きりでいるのはいつの間かおれだけになっていた。あまり飲みつけない日本酒のせいで、頭痛と胃のむかつきと同時にとてつもなくそら恐ろしいほどの孤独感に襲われた。おれ以外の周囲の人々は誰もが互いにコミュニケーションを取り合う相手がいて、世界というものに居場所を確保しているのに、おれは家を追い出され帰る場所もなく、世界どころかこのしょぼい児童公園内でもひとりきりで話す相手もない。(part 2に続く)


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