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半分来世みたいな香り 【三日坊主一首評】

桜色したヘアミスト振りかけて半分来世みたいな香り

ヨミアウより
久久カナ

半分来世みたいな香り、が目を惹く。どのような香りなのかはまったく読み手に委ねられている。いまこれを読んでいる人の中に来世を経験したことのある人はいないはずである。

桜と時間は相性がいい。春の訪れを桜で感じる。桜の散る様子は時間が経ったことを感じさせるし、それがいくらかコマーシャライズされた風景だとしても、時間感覚と桜は密接な関係になっている。そういった現代の慣習的なものでなくても、和歌にも桜が詠われているじゃないですか。詠み続けられているという厚みも感じることができる。

なんとなくヘアミストは桜の香りなのかなと雰囲気で思っていたけど、色にしか言及がない。もしかすると、香りは全く違うかもしれない。桜に香りがあるイメージはなかった。そういえば。

半分、なのも気になる。ヘアミストの香りをしっかり捉えている。主体はある程度自覚的に「来世みたいな香り」を使っているのだと読んだ。ヘアミストから、「来世」のイメージを呼び出してくる。

魔術的な動作としてヘアミストをふりかける行為。しかし、この作品で好きなのは、神的なものと接続しすぎていないところ。「香り」という軽やかな体言止めや、「みたいな」のような会話の単語を持ってきて重みを回避している。重圧をうまく避けながら桜を使役しているようで心地よい。


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