見出し画像

家族が家族たるには

『万引き家族』をみた。
タイトルからして、「家族」について何か考えなくてはならないように思っていたのだが、映画をみた直後は、これという言葉を見つけられずにいた。

だが、毎月の定例講座の感想を書いていると、『万引き家族』に出ていた面々が、ふと脳裏に浮かびはじめた。

「人はあるコミュニティーにおいて、必要とされる存在であろうとする生き物だ」というのが、その講座を受けた感想だったのだが、この映画はまさにそこを描いていたのではないだろうか。

血の繋がらない疑似家族がつくったコミュニティーのなかで、それぞれが誰かの役に立とうと、誰かに認められようと、必要とされたいと願っていて、その必死さが愛おしく、もしかしたら、それが「生きる」ことなのかもしれない。

家族というだけで、ひとくくりにされてしまう部分があるが、実は家族ほど多様な関係性を持つものもないのではないだろうか。
父子、母子、夫婦、親子。
それぞれの関係性をひとつとっても、外見上のつながりは同じであっても、それぞれの内面では、全然違う関係性が存在する。
だから、家族は「物語」になるのだろう。たとえ、血がつながっていようがいまいが。

『万引き家族』の面々の共通の結びつき。
それは、ほんとうの家族に見放されていること。それを埋めるためのエセ家族。
それがいつしか、自分の心を埋めるためだけでなく、相手の心を埋める存在になろうとしていた。
自分よりも、あなた、君、お前。

そうなったときに、この家族は離散してしまう。
相手のために存在しようとしている自分に気づいたとき、その関係性は解消されてしまう。

ほんとうの家族はそうなってからがスタートなのに、この物語は、そうなった途端に終わってしまうのだ。

家族ってなんだろう。
その答えを求めるのはきっと違う。
そもそも、ひととおりの答えなど存在しないのだから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?