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八方塞がり

死にたいか、どうでもいいか、最近の思考回路といえばその二択しかなくなってしまった。相変わらず中間はない。体がソワソワする。

前回の記事の内容をまだ引きずっている。

それはそれ、と切り離すなら、体を不安が這うようなソワソワは何だ。どうにでもなればいいという投げやりな感情は何だ。死んだほうが良いという結論を何度も出すのは、一体どういうことなんだ。

メンタル面の不調は、実生活には関係ないんだろう?生き死にには関係ないんだろう?じゃあ彼女は、この状況はどう説明するんだろう。

ああ、もう本当に面倒くさいな。

いちいち結論を出そうとすることも、いちいち誰かの感情を汲むことも、いちいち自分の生死を考えることも、全部。面倒だからやっているのだろうか。わからない。わからないままにしておけばいいのに、なぜそれが出来ないのだろう。

生きることも面倒、死ぬことも面倒。
生きていればいいことはある、死にたいと願う代償が伴う。
死ねば全て消えて楽になる、生への僅かな未練と残された人への迷惑が伴う。

八方塞がり、どこを向けば良いのだろう。
どこを向こうが、結局考えていることが変わらないなら意味はない。どこを向いても同じだ。


いっそ全て塞がって、何も見えなくなって、何も考えられなくなるほどの暗闇で思考することができたなら、今とは違う結論を出せるのだろうか。

その時私は、何を結論とするのだろうか。


いっそ全て塞がって、何も見えなくなって、何も考えられなくなるほどの暗闇の中で、誰にも何にも邪魔されず、悠々と思考できたのなら、

嗚呼、なんて幸せなことなのだろう。




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