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言葉の力

僕には血のつながっていない弟がいる。
ここでは仮に「タカシ」と呼ぶ。

僕の姉が高校生だった頃、姉が通っていた学校に併設されていた孤児院にタカシはいた。

高校生の姉がボランティアをしていたその孤児院では、クリスマスやお正月の様なイベント時、短期間だけ孤児を短期引き取る外泊制度があった。

ボランティア中にとても気があう男の子がおり、姉がこの制度を利用して、当時小学校に入っていないくらいのタカシを家に招き入れたのがきっかけだった。

タカシは持ち前の愛嬌の良さですぐに家族に受け入れられた。

僕の事もお兄ちゃんと呼んでくれ、弟がいなかった僕は、なんだかくすぐったくも嬉しかったことを覚えている。

普段は孤児院で規律ある生活を送っているにも関わらず、タカシはワガママを言わなかった。

孤児院から我が家に外泊する時はお正月が多かったのだが、家族や親戚から貰ったお年玉やおもちゃを自分では受け取らずに(僕の)母親に預け、絶対施設に持ち帰ろうとはしなかった。

当初、僕はとても不思議だったのだが、これは少し考えれば当然だった。

施設におもちゃやお金などを持ち帰ってしまうと、それは施設の共有財産となる。平たくいうと取り上げられるのだ。

外泊できない子の方が遥かに多い為、施設の方針としては恐らく正しい。でも、タカシはそうされてきた施設内の友達を見たのだろう、頑なに施設への持ち帰りを拒否していた。

持ち帰れない分、その場で見る事が出来るマンガやテレビには強い興味を示した。

いつまでも僕の部屋で夜遅くまでマンガを読んでは姉や母からよく早く寝なさいと怒られていた。

その後、施設内には複数の異父兄弟がいる事もわかり、そのうちの一人も一緒に外泊しにきていたりもしていたが、この関係はタカシが中学を卒業する少し前まで続いた。

高校を卒業したタカシは流石に泊まりに来る事は無くなったが、相変わらず僕のことはお兄ちゃんと呼んでくれていた。

その後はお互いの生活もあり、(姉とは連絡先を交換していたようだが)僕とのやり取りは無くなった。一度だけ、僕の父親が企画した新年会で会ったことがあるが、それくらいしか思い出すことは出来ない。


数日前、闘病の末に父が亡くなり、タカシに連絡を取る必要が生じた。

姉に電話番号を教えてもらい、タカシに電話をかけ僕の名前を伝えたところ、開口一番で「お兄ちゃん!」と呼んでくれた。

父とスナネズミのチョコレートの件で疲れて果てていた心身に、少しあたたかい何かが流れた気がした。

言葉ひとつでこれほど救われる思いをしたのは人生初だった。この思いを風化させないように書き記しておきたい。

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