残るモノ

息子が入寮してから
家の中はめっきり静かになった。
土日祝日は年末年始以外は野球だったから
「休みの日」というものを7年ぶりに知る。
確かに自由だけれど、寂しい、会いたい、話したい。
可能ならば、マダそばに置いておきたかった。
これが正直な気持ち。
失うモノは大きかったが
大事なモノも取り戻しつつある。

会いたい人に会える時間を取り戻した。
これはすごくすごく大きい。
子育てはこんな自由な時間の確保が難しいから孤立する。
特に、シングルは代打がいない分、そうなりがち。

先日も、会いたい人に会いに行った。
出会った当時は既に保育園児を絶賛子育て中だったから
振り返ると、ゆっくりと話したこともなかったっけな。
私の中ではロールモデルのような、
憧れの、話すにはいつも少し緊張してきた人。

だから、今回も少し緊張して会いに行った。
こういうときは不思議とメイクが濃くなりがち。
(いつも濃いやんけ~!と言われそうw)

でも、不思議な事にノンストップの会話と
そこには等身大より大きくも小さくもない私がいて
自分でもびっくりした。
大切な人との会話は、自分自身との対話でもあった。
そしてやっぱり、憧れの人のまんまやった。

『めっちゃ腹が立つ』
『いつか言うたろう思ってんねん』
『ほんまは悲しいんやと思う』
『産まんかったら良かったって何回も思った、わたし最低や』
『息子おらんくなってほんまに寂しい』
『今自分のしたいことがわからへん』 
『向き合うのがこわい』

怒りや悲しみや弱音を他人に素直に吐露することが
本当になかったなと、知った。
何も感じていないふり、平気なふり。
そんなことの連続に慣れて
自分で自分を抑えつけてきた分
自己肯定感がものすごく低くなっていることに気が付いた。

これじゃあかん。
今いるわたしはわたしちゃうねん。

そう思いながら帰った。

何が友人、友達っていうんか分からんけど
学生時代から、自分の中で友達と位置づける人は少なかった。
微妙な関係性を、いらないと切り捨ててきた。
今でもそう。
なんとなく繋がっていたり
表向きだけの付き合いを
シャットアウトすることも多々あって
「もっとうまくやれたやろ」
「もっと上手に立ち回れたやろ」
と後悔することもある。
でも、やっぱりそんなんいらんねん、と再確認した。
だって、こうやって大事な人は大事なまま残っていく。
たとえ会えない期間が長かったとしても
大事なまま残ってる。
あぁ意外とわたしは幸せかもしれへんな。

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