破廉恥憧憬紀 三

「おい! あったぞ端緒! あった!」
 興奮する高島を、周囲の同級生たちは訝しげに見つめていた。その姿は有頂天外そのものであった。

「まあ落ち着け。何があったんだ」
 高島は対面に腰を下ろし、「セキュリティは突破できるぞ」と努めて小声で言った。
 私には高島の言っていることが理解できず、眉を顰めた。それを見た高島は、ぐひひひ、と悪戯な微笑を浮かべた。
「何だ、気色悪いな。早く状況を報告しないか」
「ここで簡単に言ってしまっては面白みに欠ける。何事も恋と同じで、結果が出る前が一番楽しいのだ。それを味わえる君が羨ましい限りだ」
「恋を知らぬものの言葉など通じぬ。早う言わんか」
「いいや。こればかりは、この場では言えん」
 高島は変なところで頑固になるきらいがある。ここは従っておくのが無難である。
「分かった。放課後にまた集まろう」
「君の予想を楽しみにしているぞ」
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


 午後の授業は、倫理と現代文であった。これらは巷で持て囃されている協働的な学びとは対蹠な立場にあり、我が精神世界にて開展される実に崇高かつ壮大な妄想に一役買っていた。繋がりやら相互理解やらとは無縁の時間が、私には心地良かったのである。
 高島は、「この場では言えぬ」と言った。それはつまり、この度の高島の発見が私以外の人間にとっても有益となり得る、ということであろう。”隠し扉の存在”や”心強い協力者の出現”などは、どれも現実的には考えにくく、何より面白みに欠ける。高島を熟知した妄想熟練者たる私が導き出した答えは…。六限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 放課後、我々は学校の最寄り駅近くにある喫茶店にいた。
 コーヒーを啜った高島は舌を出し、顔を震わせた。「熱いな」
 窓のない店内はアンティーク調の雑貨と控えめな観葉植物が間接照明に照らされ、幻想的な雰囲気を漂わせている。疾うに店じまいをしたかのような外観のせいか、我々のほかに客はいない。入学して間もなくこの店を見つけてから、いつもこんな具合だ。同級生に遭遇する心配もないので、我々の作戦会議は決まってこの場で行われてきた。
「さあ、答え合わせをしようじゃないか」カップを置いた高島の目は、眼前におもちゃを置かれた少年のように輝いていた。私の推論を今か今かと待ちわびていた。
「隠し扉なり協力者なり考えてみたが、何だかしっくりこなかった」
「ほう」高島の口調は、まさに私を試していた。にやけている。
「そこで考えた。お前が雀躍しそうなほど興奮し、”この場では言えぬ”と言ったわけを」私が話す間や挙動はもはや名探偵のそれであった。
 そのとき、高島はあろうことか立ち上がった。「ちょっとお手洗いに」
「おい馬鹿たれが」
「私のせいではない。コーヒーの利尿作用だ」
「そんなすぐに影響が出るか。思い込みだ」
「とにかく漏れそうなんだ」高島は前屈みである。「ここで撒き散らしてもいいのか?」
「やめろ! さっさと行ってこい!」高島の愚行によって現実に引き戻され、浸っていた自分を発見した私は苛立ちと恥ずかしさを覚えた。
 トイレから戻った高島に、今度は至って冷静に私は言った。「誰かの弱みを握ったのだろう」
「ご名答」高島は先ほどの悪戯な笑みを浮かべて言った。「あれこれと思案して楽しかったでしょう?」
「それなりにな」
 ただ、と言って高島は続けた。「握った弱みの持ち主が分からないのだよ」


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