破廉恥憧憬紀 四

「握った弱みの持ち主が分からないのだよ」高島はあっけらかんと言ってみせた。
 私は呆然として開いた口が塞がらなかった。
「証拠はないのか?」
「現状保存中だ」
「阿呆か貴様は!」私はテーブルを叩いた。奥の店主が我々をちらりと見たが、すぐに手元の本に視線を落とした。
「証拠もなく何が弱みだ! ぬか喜びさせやがって」
「まあそう焦れ込むな。機会はまだある」
「せっかくの好機をなぜ逃した。もう時間がないのだぞ」
「まだ五日もあると言っていたのはそっちではないか」
「舞い込んだ好機なら逃すなという話だ」
 大丈夫さ、と高島は余裕を見せ、コーヒーを啜った。つられてコーヒーを啜ると、冷めたことで強まった酸味が実に不快で、一気に飲み干したあとで私はしかめっ面をした。
「私が弱みを握ったことに当事者は気付いていないはずだ。すぐに捕まるさ」
 肝心なことを忘れていた。「そもそも、握った弱みとは何だ」
「盗撮だよ」


 私はいささかの恐怖を覚えた。仮眠室は生徒用である。誰かのいちゃこらを見たいのであれば、仮眠をするふりをして眼光を鋭くその時を待ち構えていればよい。我々ほどでないにしても、年頃の有り余る妄想力をもってすればその光景をありありと思い起こして自室でも存分に楽しむことができるであろう。
 学校において仮眠室への出入りが不自由な存在は、定時の見回りのみを許されている教師しかいない。高島の発見は、我が校に潜む咎人を探す端緒となってしまったのである。
「楽しみですなあ」高島は嬉々として卓上のレシートを手に取った。さながら競技骨牌である。
「待て。この先どうするのだ」
「大丈夫だ。またやる。必ずな」
「根拠は?」
 声音には認めざるを得ない焦りが滲んでいた。そもそも、なぜ私がこの状況に焦らなければならないのか。いきすぎた妄想の弾みでバレンタインデーに刺激的なスパイスを少々与えるだけだ。これは崇高な行いであって、聖戦である。ただそれと同時に、今しがた浮かび上がった咎人の影を照らさなければならないと考える自分もいた。理解不能な正義感が私をもう一つの聖戦へと駆り立てようとしていた。
「周りは自己顕示欲で頭がいっぱいな奴らだ。あいつらがこの事実に気づいていたのであれば、疾うに明るみに出ているはずだ。そうでないということは、問題ない。明日以降、もう一度現場を押さえる」高島は冷静であった。
「まあ、いいだろう」
 高島はこちらを振り向き、私に投げかけた。「何だ? 怯えているのか?」
「分からん。だが、我々に課された使命を成し遂げるのみだ」

 我々は、明日仮眠室に潜り込むことを決めて店を出た。
 この崇高なる聖戦を見届ける者は誰もいない。むしろ、いてくれない方がありがたい。悪を裁き、大量のチョコレートを空へと打ち上げる準備はできた。我々は正義の使者であるが、正義が人の数だけあるということを付け加えておく。おそらく、誰も間違っていないのである。おそらく。

 咎人はいったい誰なのか…?

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