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【二人のアルバム~逢瀬⑮~解放~】(フィクション>短編)※加筆済

引っ越してきた夜に、彼は彼女と一晩中、話し合った。彼は、退職した、と言った。

唖然としていた彼女に、さらに彼から10日前の副社長の入電の件についても話があった。

副社長から電話が入った際に副社長には彼が即日で退職した事について説明をしなかったので、副社長が驚いていたようだが、あの暴風の日、彼は社長に、直接、辞表を提出した、と言った。

一晩懸けて彼が呟くように少しづつ話したのは、今までのストレスや、彼自身が非常に苦手にいていると彼女に思われる、強欲な他人の無神経さや人間関係の悪化などだった。


入社の頃から、何故か社長は素直な彼を気に入り、副社長より彼を贔屓した。この事は、彼女が数年彼と付き合っている内に出てきた話題を含めて、彼女は、よく聴いている話だった。

彼は自分に対して重責の重みを不要なストレスとせず、必要に応じて毎日業務をこなした。

要領も良く、起業も本業の横で副職として済ませた出世の早い副社長に比べて大真面目で、よく揶揄からかわれていた。

若し、社内に社長派と副社長派のチームが有るとすると、彼はどっちつかずの積りでいたが、彼を可愛がるような態度が多かった副社長は、実は彼を社長派として、部下の大下和也おおしたかずやに見張らせていたのだ、と「間接的に」知らされた、と言う。通り掛った会議室で話されている内容を彼が聴きつけた、との話だった。

不信感と言うモノは、一度心に沸いて来ると、なかなか抑える事は出来ないものだ、と彼女は話を聴きながら彼に同情した。今まで信じていた副社長に裏切られた様に感じただろう。今まで、仲間になっている積りだった副社長が、大下から、彼について、好い事、悪い事の全てを報告されていた。副社長に気を許していた彼は、如何に傷ついた事だろう、と彼女は同情の念を消す事が出来なかった。

そう謂えば、彼にとって副社長も社長も大切な存在だったが、特に副社長とは、営業サポートの案件が開始してから急に同席が続いていた。互いに趣味が合う為、良く仕事や他社訪問や営業活動、色々な趣味活動で別々に彼を連れて歩いていたが、副社長は、殊に彼をいつも運転や雑用に遣った。長い間部署の管理者として、チーム養成をしてきた自分の働く場所が無くなって、自分は実際に役に立っているのか、といつも自問自答して来ていた彼にとって、副社長の頻繁な連絡や同行は、プレッシャーではなく、彼にとって安らぎになっていただけに、ショックが激しかったと言う。

ソレで、ヤキモチ焼いたんだ、彼には私のする事さえ「信じられないような気分になった」、と彼女は数か月前の彼との衝突を考えていた。

仕事は、当初、社長命令で、一度頓挫した案件を主導して、成功に導くように指示された。最初は張切って取り掛かったものの、旨くチームワークを組んでいた筈の副社長が、彼の脚を引っ張った。

まさに「呪われ」たプロジェクトなのかと、業界のPM|《プロジェクトマネージャ》等が引取を嫌がったこの案件は、
●最初にまず彼の前任者が、多数の応募者から選んで仕事を引き受けたPMに鬱病の持病があった事を知らされていなかった。
●東京に兵庫の職場から急遽派遣されるも、タスク担当のSEと喧嘩の後、環境変化と職場の「ストレス」の存在で、さらに鬱病が悪化し退任、
●二度目の人選後に間に介入してきたDBデータベース企業が、有名なクライエント契約が欲しい為に、こちらの会議中に逐一邪魔を入れて来たり、数回、トラブルが発生し、チーム解散、
●挙句に三度目に引き入れてきたPMもSEも退職に追い込まれ、
前任者はほぼすべて人選で失敗した事となり、この案件を頓挫させていた。

彼を矢鱈と買っている社長は、どうしてもこの案件を成就したい、と諦め切れず、人選びに優れている彼を選び、彼が主導するようにと、個人的に、且つ、全面的に信任し、特別チームを作った。

彼が特別対応任務で元居た職場から各社の間に入り、中心になって人選び、案件の方向性を決定するなどもした。何度もスケジュールが変更したクライアントのカフェレストランは、状況悪化の中で入って来た彼に期待し、彼の明るい主導型の管理力で、問題は何とかなるのでは、と思っていた。

人に知られた有名カフェレストランの案件で、数社の案件業務斡旋を経てチームが出来ており、彼の会社が主導する筈が、副社長の口利きで間に入った数社の契約金の支払い余剰額に、時間と金を取られ、彼の会社に齎せられる筈のクライアント企業から受領すべき、予定収入が予定額を下回ったと言う。

この時点で、彼に対して、契約金支払過多の報告について既知していなかった彼のリードチームに副社長は加入していたにもかかわらず、クライアント企業の支払額が激減した理由に副社長がチームに蔭で命令して、彼に言及・報告させず、不要な介入の仕方をしていた事を、彼は随分後になるまで、全く知らなかった。後悔、先に立たず、だった。

然も自社の管理職の問題が外に出てしまい、彼は案件の主導者として、社長に陳謝し、辞表を提出した、と云う。

通常、案件に入っている彼がリードなら、彼にすべてのフォローアップが集中的に入らねばならない。が、肝心な事へのフォローアップが副社長一派から来ない事が続き、頻繁に確認が必要となったから、当初作成していた予定表から格段の遅れ方になり、彼は頭を抱えた。

副社長は社長と既に対立していたので、取締役会でも問題になり始めていた、と彼は言った。

彼女は、彼の話によると、彼が既にチェスの駒の様に、副社長に振廻され、混乱させられている感が強く、社長に
「副社長がリードなる方がいいと思われる」
と言うメモを書き、社内の対立が激化してきたのを好機に、今まで、如何に副社長が社長代理で自分の決裁を勝手にしていたか、事の真相を詳細に書き連ね、自分は責任を取って辞める、とした。

もうこの副社長の作り上げたドラマにはまきこまれたくない、と辞表を送った。

社長もその際に非常に今までの自分の態度を彼に詫び、副社長について善処するので、戻って欲しいと謂われた。が、彼は、自分で今後は別にやりたい事が有るので、辞めさせて貰う、とし、後任者は既に選んである、と自分の下で過去20年間頑張ってきた真面目な三条樹さんじょうたつきの許でなら、チームがしっかり一つになって働けるように用意した、と語る事で、三条の今後をきちんと決めてやり、同時に社長も安心出来る程、この先のスケジュールを策定してやった。また、この先のプランについて重要なので、人事部長の柏木俊二かしわぎしゅんじに依頼して、退職金を貰う事まで交渉済、とした。

彼女が思うに、彼が感じているのは「副社長への怒り」だけではなさそうだった。一度指示をして任命したら、安心して彼を「放置」していた社長も、今一つ信用出来ない、と彼は思ったようだった。

副社長がこの事に気づくのが遅かったのは、
彼が、副社長一派に黙って、柏木人事部長に事情を話して退職金について相談を事前に済ませてから、社長に今までの事の真相を書いたメモと辞表を提出したから、と彼は彼女に謂った。

彼は社内でも人望があり、どの部署管理者も彼を大切にしてくれた。独立するための用意としていろいろな部署で相談した先は、彼の為に皆黙って話を聴き、裏切ったりしなかったワケだ。彼女は彼の周到さに驚いていた。

社内派閥の関係に振廻されてバーンアウト燃え尽き症候群のような気分になったと、彼は彼女に謂った。
「この頃には、あなたにも随分、厭な思いをさせた。だから、も一度謝るよ。悪かった」、
と彼は彼女に頭を下げ、謝り、彼女を抱きしめた。

彼は怒らせたら恐ろしい人だ、と彼女は思った。


退職後は、彼は本業で事業コンサル、副業で不動産収入の起業を考えている、と話した。

●既に彼女の住むアパートメントビル全体を購入してあったので、家賃収入で彼は彼女と暮らして行ける。
●暮らしているアパートの家賃収入とは別に、新築の集合住宅を柏木が計算した退職金で購入・管理し、実家の両親や実家にまだ住んでいる妹の生活について、また両親の介護看護についても、実家の市内でケアマネージャを通じて既に対応管理することになっている。だから、彼女には心配は要らない。
●新たな彼にピッタリのコンサル業の仕事が突然、彼の膝の上に落ちてきたとしても、
●彼にはこの同居しているビルの家賃収入があり、不動産会社に代理契約をしてあるので、これ等の契約金を除いても、結構な収入が残るので、本業の経費についても何とかなるだろう、と考えた。この「副業」について、彼の心に迷いはなかった。

彼女は彼に、今のアパートメントハウスの家賃などを廉価にされている事について、現在の彼の状況を考えると非常に罪深く感じるので、彼の収入を増やす為、彼女が家賃を払うので、家賃を元の額面に戻させてくれ、と頼んだが、彼は、自分が移転してくることもあるので、
「家賃は不要」、
と笑って言った。

「このアパートメントハウスは、俺が家主である以上に、あなた自身の家だから、ソレは憶えていて。あなたもこのアパートの建物の持ち主だから、管理も手伝って貰うよ。だから、お互い、フェアに行こうよ。気にしなくて好いからね」
と、彼はにこやかに言った。


副社長の番号や会社の番号をブロックした後、彼がまたここに来るのはさらに2か月懸かってから、と思っていたので、彼女はそれらをまだブロック解除していなかった。

だが、彼は自主的に退職届を出して会社を退社していたので、副社長との騒動について、そう慌てる必要もなかった。彼女の様に、課税資産がない人とは違うのだ、と思いながら、彼を見ていて、彼が誰かと別れたり、何処かから離れる時は、盤石に準備をするのだ、と悟った。

彼のその極端にも感じられる用意万端な備えは、厭になったら、その場ですべて切り去る為だ。

彼が彼女に見せた「新しい」彼は、新しくも何でもなく、ただ、すべての自分を巡る制限と不利益と重責任からの「解放」であり、自分を最終的に楽にする計画的手順だった。同時に、利用され、裏切られた副社長への復讐も兼ねていた。彼は怒らせたら、コワい人だ。

彼女は彼に一つ、尋ねた。

なぜ、彼はいまだに彼女を信じているのか、と。
彼は謂わば、秘密主義者で、他人を自分のサークルには誰も入れなかった。彼女から見て、彼は今一つ、彼女に気を許している気はしなかった。彼の理論的で重厚で盤石な準備を経て、自分を裏切った人を圧倒的に切り去る方法に、謂わば、彼女は自分も一部、そうされてる、と感じてしまっていた。事に過去一年位の彼の彼女への態度はそう感じた。

彼は、彼女をじっと見つめて、こう言った。
「あなたは、他人じゃない。あなたは俺の鏡だ。俺に『目隠し』のまま、ついて来るし、正しい指摘があれば自分の非を認め、俺が自分の非を認めれば、赦しもくれる」
俺を裏切ってくれるなよ、とその一途な瞳は言った。

(つづく)



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