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私の生を考える

ここ数日、思わず目を瞑いたくなるようなニュースが多い。
昨日まで当たり前のような日常を当たり前に過ごしていたのに
無残にも一瞬でその日常は壊れてしまうことを目の当たりにした。

もし、今日が人生で最後の日なら貴方は何をする?

ありふれた質問だ。

好きなものをお腹いっぱい食べる
普段できないような体験をする
会いたい人に会いに行く

人生最後の日と自己認識していれば、その日を自分にとって特別な日として
やりたいことを制限かけず全力で行動するだろう。

もし自分の死ぬ日がわかっていたら。

大切な人をとても大切にするし
なるべく自分のストレスを取り払って、自分の欲に貪欲になれる。

人間、自分がいつ死ぬかなんて誰にも分らない。

まさか自分が明日、この世から去ってしまうなんて思わない
隣人が明日には存在しなくなっているなんて思わない

だからこそ、当たり前は当たり前なんかじゃないんだ。

ここまでなら今までの人生で何度も何度も考えさせられてきたと思う。
マスメディアが発達し、多くの方の訃報をより身近に知るようになった今の時代。どんなニュースであれ他人ごとではないと感じざるを得ないからだ。

不安というのはいつまでたっても無くならない。

もし今日を全力で生きたとしても、明日、明後日、1年後と毎日を全力で生き続けていくことは難しい。
それが出来る体力と財力、時間が次々と湧き出てくれば可能なのかもしれないけれど、なかなか現実的には考えにくいよね。

未来というのはどうにも不透明で、続くのか終わるのか全く見えない。
確率論として、生きる可能性のほうが高いから未来を描き夢を見るし、
死ぬ可能性が高ければ今を生きることを優先するだろう。

生きるって簡単なようで難しいと思うんだ。

生きているだけでお金はかかるし、今を全力で生きていたくても
その先の人生のために備えなければならないものもある。

考えれば考えるほど、不安は募り
その不安を解消しようと行動をするかもしれない。

そうやって私たちは守るべきものを守りながら、前に進んでいるのだ。

自分の終わりを考えたとき、なぜ今を全力で生きようと思うのか
なぜ、制限をはずそうと考えるのか。

それは今日、いまこの瞬間を大切にしたいから。
明日が無いと分かっているからだ。

それに対して、
なぜそれを今この瞬間から行動に移すことを躊躇してしまうのか。

それは明日、明後日と未来を歩むことが人間の宿命だとわかっているからだ。

私の生を考えることは、人生を考えることに直結する。
当たり前のようなことを考えていても、それを当たり前と思いたくない自分へぶち当たる。

私たちは、多くの方の人生の終わりを見て今を生きていることを忘れてはならない。多くの方の命から、自分の命について考えるきっかけを与えられ
不安や希望という形に変えているんだ。
そうやって歴史を紡いでゆく。

生きるってどういうことなのか

それは不安を作るっていうことなんだ。

少しの希望と大きな不安。それが生ってものなんだ。

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