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CG合成誕生の遠因に黒澤明流ノートリーミングシネスコテレシネがあった

大学受験に失敗して浪人が決まった昭和55年(1980年)の春、フジテレビで放送された『用心棒』と『椿三十郎』を観て黒澤明監督に魅了された。まず驚いたのは画面の上下に黒いマスクをしてシネスコ画面をトリミングせずにテレビ放送させたことだった。

あのS・キューブリック監督でさえ思いつかず、『2001年宇宙の旅』のトリミング放送を許していた時代に黒澤監督はそれを許さなかった。それが凄い!

今では当たり前になったレターボックス方式の考案者は、黒澤監督だったのだ。

その放送形態が、世界初の試みだったことはあまり知られていない。後に、4:3のブラウン管テレビを16:9のワイドテレビに移行する過程で、この方法はなくてはならないものとなった。

1971年以来NHKが進めていたアナログハイビジョン開発も当時は4:3だった事を考えると、黒澤監督の映画への拘りが画面の上下を黒いマスクで覆うという発想を生んだから、16:9のワイドテレビへの移行が上手く行って、世界的に普及したと言ってよい。

そしてアナログハイビジョンテレシネ合成の粗悪さに怒りを覚えたコダックが、フィルムのデジタル化を考案しデジタル合成を始めたのだから、CG合成誕生の遠因に黒澤流ノートリーミングシネスコテレシネがあったと言えるのではないだろうか?

https://youtu.be/EDADDhWV7kY

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