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共感しすぎて辛い時に使える「課題の分離」


HSPやエンパスと言われる「敏感すぎる人たち」は、
しばしば、頻繁に
「共感しすぎて辛い」
という感覚に困ることがあります。
自分が攻撃されているわけではないけど、
誰かが傷つけられているのを見て、苦しくなってしまうのです。

そんな時にぜひ、意識して欲しいのが、
「課題の分離」です。

ビジネスや問題解決の場面でよく使われる概念ですが、
HSPの方がコレを理解すると、
かなり生きやすくなるのではないかと思います。

「課題の分離」とは

「課題の分離」は、アドラー心理学の考え方の一つで、
「自分がコントロールできる事(自分の課題)」と
「自分がコントロールできない事(他人の課題)」を
しっかり分けて考えましょう、というものです。

アドラーは、「全ての悩みは人間関係の悩みである」とまで言い切っているのですが、人は往々にして、自分がコントロールできない、他人の課題について、「どうすればいいのだろう」と、思い悩むことが多くあります。

自分の課題
自分に解決の責任があり、自分が解決するべきで、
自分の力で状況がコントロールできるもの、が「自分の課題」です。
自分自身の感情や、行動、判断がコレにあたります。
ちなみに「感情」は、コントロールすることができます。

他人の課題
最終的にその課題の責任を引き受けるのが、自分以外の他人である場合が、他人の課題です。他人の感情、行動、判断など、自分ではコントロールできない領域が含まれます。ですので、助力したり、協力したりはできるけれど、最終的には、課題を持っている本人が引き受けなくては、その課題は解決しません。

自分の課題と他人の課題を混同してしまうと、
「こうするべきなのに、言うことを聞いてくれない」
「困っているのに助けられない自分は無力だ」

などと、相手の行動や感情を自分の課題だと勘違いし、
相手が思い通りに動いてくれないことや、
相手の感情が自分の思い通りに変化しないことに、
思い悩むことになります。

…こう書くと、とても傲慢な感じに見えますが、
世話好きな人や、優しい人が、よく、この混同をしてしまいます。

将来、困らないように…
たくさん批判されているからなんとかしなきゃ…
悩みを相談されて、頼られているんだから、力になってあげなきゃ…

そう、思うこと自体は、悪いことではありません。
心配することも、協力することも、助力することも、
悪いことではないのですが、
「課題の分離」ができていないと、
本人以上に思い悩んだり、
本人が解決するべき課題を、肩代わりしようとしてしまいます。

例えば、子どもの宿題を、本人が自主的に取り組むのではないやり方で解決したとしても、目の前に宿題が来るたびに、その課題は繰り返します。
同じように、批判されている人の考え方や行動は、その人が変えたい、と思わなければ変わらないし、変えないことによる利益も不利益も、その人の責任です。その人の行動によって迷惑している自分がいたとしたら、その場合、自分の課題は「相手の行動を変えるには」ではなく、「この状況で、自分は何を感じて、何ができるか」が、自分の課題になります。あくまで、コントロールできるものに課題を置き換えるのです。

「課題の分離」は信じる力。

「課題の分離」は、
困っている人を見て「あれは、本人の課題だから、手を貸さない」
というような、冷たい考え方ではありません。
逆に、相手の課題解決能力を信じる力です。

教育は、飢えた人に魚を与えることではなく、
魚を釣る方法を教えることである、という例えがあります。

相手に魚を釣れるようになる力がある、と、信じた上で、
「魚を釣れるようになりたいですか?」
と、問いかけるのが、課題の分離です。
魚を釣ってあげたり、「魚を釣りなさい!」と言い続けることは、
相手の課題への介入になり、相手が課題を解決する機会(魚の釣り方を習得する機会)を、奪ってしまうことになります。

とはいえ、
相手が、全く課題を自分の課題と捉えていなかったり、
課題に気がついていなかったり、
課題を解決しようとしていない、ということも、
たくさん、たくさんあります。

世の中には、
「自分で望んで悩み続けている人」
が、大半です。
…というと、びっくりするかもしれませんが、
大抵の悩みは、自分が望んで引き寄せています。
貧乏も病気も人間関係も、
それは「状況」であって、「感情」や「悩み」ではありません。
同じ状況でも、明るく楽しく生きる選択も、できるはずなのです。
でも、その状況で感情が動いたり、悩んだりするのは、なぜかな?と、
自分の中を掘り下げていくと、悩みの根幹にぶち当たったりします。

そんなふうに、
悩みの根幹って見つけづらかったりするので、
周りで見ていて、とってもヤキモキします。

そんな時、思い出してください。
あれは、私の課題ではなくて、あの人の課題。
だから、私が責任をとることも、解決することもできない。

そう、心の中で唱えると、
ザワザワがちょっと、落ち着きます。
その状態で「私にできることは何だろう?」と、考えてみてください。

誰かを助けたい、力になりたい、と思う時に、
一呼吸おいて、課題の分離をするだけで、
自分も落ち着いて、相手の気持ちを考えた動きができます。
「相手の気持ちになりきったり」「相手の代わりに感情を動かしたり」
するのではなく、
あくまでも、あなたとして、相手に関わってゆくことが、
相手にとっても、とても大事なのです。

傷ついている人を見て辛い時

私は、大事故や大災害、弱者が虐げられている状況、
誰かが苦しんでいたり、傷ついている状況を
見聞きするのがとても辛いです。
精神的に苦しんでいるのとか、
周りの理解が得られない状況とか、
悩み苦しんでいる人がいるのに、自分は何もできないのとか、
本当に辛いです。

だから、
しばしば、大きな災害のニュースで具合が悪くなってしまったりします。

そういう時、共感センサーを切ることは、
何だか、人でなしのような気がしていたのですが、
そういう時こそ、
「今、苦しんでいる人の苦しみを、
 私が代わりに引き受けることはできない」
と、しっかり認識した上で
自分の心を守りましょう。
あなたが、今、共感してしんどい思いをしていること自体は、
あなたの課題
です。
あなたが、苦しんでも、相手には何の解決にもならない。
むしろ、あなたが最善の状態
「あの人のために自分に何ができるだろう?」
と、考えることの方が、相手の課題の助けをすることができるのです。

HSP・エンパスのあなたへ

共感しすぎて辛い時は、遠慮なく、共感のセンサーを切って、
自分の心を守ってください。
それは、あなたの課題ではありません。
あなたが解決するべきあなたの課題は、
自分自身を守ること。自分の心をコントロールすることです。

誰かが傷ついていたら、その人と同じ気持ちになって、
共に苦しみ、共に涙を流すことができる、あなたの才能は、
多くの人を癒します。
だから、あなたが、その才能を生かすためにも、
あなたは、自分の心を護る技術を身につける必要があります。
すなわち
「共感する事象」と「共感しない事象」を、
意識して区別することです。
最初は、難しいかもしれませんが、
「課題の分離」を心におきながら、
意識してみてください。
徐々に、できるようになっていきます。

相手の感情は、基本的には、全て相手の課題です。
あなたは、あなたが共感したいことにだけ、共感していいんです。

しっかり体勢を整えて、
それから考えたっていいんです。

「自分ができることは何だろう?」
って。

相手を変えることも、コントロールすることも、できません。
自分ができることしか、できないんです。
だから、今は、心を護って、元気な自分になりましょう。
それが、あなたにできることです。

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