ICT教育の中でどう考えるか

ここでまた、教育に戻る。

日本のICT教育のプログラムでは、まだまだ「思考と表現の道具」としてのCALモデルは弱く、「教える道具」としてのCAIモデルの伝統が支配的、とされている。

グローバル資本主義の限界が嘆かれてはいるが、抜け出せていない状況の中で、ビッグデータを扱うIT産業が教育の分野に介入してくることは、必須で、ICT教育は、企業の利益や経済活動に重点が置かれていくことになるだろう。

その状況の中では、コンピュータをどう扱うか、どのような方法論を組み立てていくかを考えることが必要で、そのはじまりは「問い」を立てることだ。その「問い」を探索していく過程においては、一人ではなく、複数人での意見交換の場が必要である。コンピュータをいかに道具として使えるかが、教育上の課題であるのだろう。

これからの教育をコントロールするIT企業、グローバル企業の提供するコンテンツに常に批判的な視点を向けていかなければならない。

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