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人生初の救急車。県をまたぐ大移動。

転院日は8月28日に決まった。
前日に病院に行き
荷物をまとめる。

オムツとかおしりふきとか。
今回の入院で母にとって
必要なものが増えました。

母はまだ50歳代。
職場の病院で成人用オムツは
見慣れているものの
自分の母のものとなると別問題。

実感がありませんでした。
けど必要な状態に
なっている現実。

小腸の炎症は
とどまることを知らずに、
下痢や嘔吐を繰り返す。

点滴を行なっても、
腹水や胸水として
体内に出てきてしまう。

どうなるんだろう…
なんて考える余裕もなく、
ただ毎日をやりきることで
精一杯でした。

救急車に乗せられる
荷物の量にも限りがあり、

持ち運べる荷物は
前日のうちに都内に
移動させることに。

スーツケースに入れた荷物を
持ちながら、
都内の自宅に帰る途中に
翌日転院する病院を視察。

”THE 大学病院”という感じの
病院の大きさ。
ここにはるばる来るなんて
と少し怖気付きもしました。

救急車での搬送は
朝9時の出発。

ストレッチャーで運ばれる母。
午前中には転院先に到着するべく
医師付き添いのもと、
走り出しました。

もちろん、私も同乗することに
なったのですが、

まさか仕事以外で乗ることになるなんて
サイレンの内側にいる不思議さが
ありました。

道をあけるサイレンの音。
今までは正直、仕事を告げるただの音に
すぎなかった音。

この日を境に、今でも胸がきゅっとなる。
このサイレンとともにあるのは
人の命だということを想って。

移動中の2時間半、
ずっと鳴らされていたサイレン。
焦燥感にかられる音。

今この救急車内で急変したら、
自分は母を救えるのだろうか。

なんてことも考えたりした。

普段、病院という整った環境で
患者さんを看ている分、
自分の無力さを痛感した時だった。

地元の総合病院に入院してひと月、
一度も帰宅できないまま都内へ
転院することになった母。

都内へ向かう途中、
家の近くの道路を通った時は
とても切なかった。

いつ帰れるのだろうという思いと
帰れなかったら…
という思いがあったからだと思う。

2時間半ほどかけて
無事に都内へ到着。

これから良くなるはず…
期待で胸が膨らむとは
こんな感じかと。

大学病院だもの、
すぐに原因みつけて、
治療してくれるだろうと。

こういう時って
なぜか期待の方が
大きくなってしまったりしますよね。

人間らしいなと思います。

今回は救急車での搬送について
でした。
次回は搬送後の
初の大学病院についてをお伝えしたいと
思います。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

あの日の自分のような誰かに
届くことを願って
書き進めていきます。

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