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2回目の集中治療室。ICUダイアリ―をはじめる母。

2024年3月30日の私です。
ここ数日母の体調が良くなく
久しぶりにまた入院かと思いました。

同じ県内には住んでいるものの
距離は少しあるので
すぐには行けませんが

週末にも入っていたので
ダメならかかりつけを受診しようと
思っていました。

幸い、1日で発熱は良くなり
諸症状もおさまっているとのこと。
再来週には定期外来もあるので
一旦大丈夫かな〜というところ。

けれど、最近安定していたことを
いいことに、少し油断していました。

今ブログで書いている時期は
本当に目の前が真っ暗で
よくなるなんて思ってもなかった時のこと。
退院できたことが奇跡だったのに

慣れてしまうとそのありがたみも
忘れてしまうのだと
気持ちを引き締めようと
思いました。

こうやって、今過去のブログに
再着手していることにも
きっと何か意味がある。
苦しいことも時に忘れてはならないのだと
思わされる出来事でした。

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時は2019年10月。

2回目のICU(集中治療室)での
生活が始まった。

母の病状は良いとは言えないものの
当初よりは全体的な経過として
改善していました。

4週間で30kgもむくんだ
全身のむくみも良くなり、
徐々に自分でも
体を動かせるように。

転院直後、わけもわからず
全身のむくみが急速に進行し
体の自由が効かなくなった母。

部屋にいるときは
うがいの手伝いや
タオルを取るといったことは
代わりにやっていましたが、

何かの時に、泣いてしまった母に
「自分の涙も拭けない、拭いて」
と言われた時には中々に堪えました。

でもその時に、涙は流せても
涙を拭けない苦しみも
あるのだと学びました。

そんな母が、ベッド上であっても
腕や足の関節リハビリをしたり、
ベッドから足を出して
腰掛ける姿勢(端座位)を取ったり、
車椅子に座るリハビリまで
進めていきました。

ICU入室中は毎日面会に行っていて
本業の看護師の日勤後や
夜勤や遅出前など全て。

とある夜勤前に行った時に
もう少し待ってとリハビリさんに
呼び止められ、車椅子に乗っている母を
見せてもらいました。

移動する時に力ない様子に
ショックは隠せなかったけれど
ずっと寝たきりだった姿から
起き上がっている姿を見て
ホッとした。

少しずつ状態が改善していく中で
看護師さんがICUダイアリ―の記録を
提案をしてくださり、
日記を書き始めた母。

秋の時期で台風の日は
流石に面会に行けなかったけど、
面会に行けなくても、
ダイアリ―をみればその日の出来事を
知ることができました。

率直な気持ちを綴ったり
体重の推移をグラフにできるように
してもらったり、
リハビリ内容を記録していました。

「ICUダイアリ―」というのは、
集中治療領域の医療スタッフや
ICU入室経験がある方、
そのご家族であったら、
一度は聞いたことが
あるかもしれません。

ICUには生命の危機にある方や
全身状態がよくない方が
多く入院しています。

薬の影響で眠らされることもあり、
記憶が抜けたり、
曖昧になることがあります。

全身状態や環境の要因によって、
せん妄と呼ばれる一時的な意識障害が
起きることもあります。

そのような経験は退院後も
身体的・精神的に様々な影響を
与えるとされています。

ICUに入室することで起きうる
そのような状態を予防したり
軽減するために
記憶の整理を行うものです。

ICU入室中の出来事を
自分で記録したり、
医療者からのフィードバックを行うことで、

曖昧だったり、ネガティブな記憶のゆがみを
適切に認知することにつながり、
退院後の生活の質も
改善するといわれています。

家族側としても、
入院中の様子を知ることのできる日記になります。

その頃の母は、
依然として口からの摂取は
一切を禁じられていたので、
駄菓子香りブームの真っただ中。

よっちゃんイカやうまい棒、
麩菓子にチキンラーメンなどの
香りを楽しんでいました。

「こうやって鼻近づけていたら食べちゃいそう。ばれないよね」
なんて冗談を言う余裕も
でてきていました。

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今回は、2回目のICU入室時の
様子を記録しました。

ICU時代のことは
より細かくメモしているので
書くことがたくさんです。

でも当時の自分が
書き残しているから
こうして今、違う形で
書き残すことができている。

メモを読み返すと
2019年の自分からのバトンを
落としてはならないなと
思います。

次は、さらに新しい検査に
挑むことになり
その様子などをお伝えできれば
思っています。

読んでくださった方、
ありがとうございます。
では。

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