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【読書記録】 未来/湊かなえ

◎2月5日 16時 読了

    私が子どもと関わる仕事をしていることで、さらに色々と思うところがあった。読んでいるうち色々な子どもの顔が頭に浮かんだ。私は子どものSOSを逃さずに見てあげていられているだろうか。自分のことでいっぱいいっぱいで子どものSOSを見逃していないだろうか見ないふりをしていないだろうか。

    いやしていた。最近は特に自分がいっぱいいっぱいでいくらでも言い訳が出てくるぐらいに1度寝たら起きられないぐらいに疲れていた。それはそれで本心として認めるとして、子どもたちのことを考えないようにしていたのも事実だ。この子はいつもこう、何度言ってもこう、言うだけ無駄、伝わらない、聞いてない、家庭の問題だと決めつけてその子本人の言葉を聞かないようにしていた。聞き分けのいい素直な子と手のかかる子を差別していた。手のかかる子の言うことはいつも時間を無駄にとられるだけだと聞き流していた。自分がしないといけないと思うことが多すぎて、余裕が無さすぎて、学校と家庭の問題だと、ここで出来ることは少ないとやれることはやってきたと言い訳しながら過ごしていた。それを悔いた、しっかり話をきいてあげようと思い直した。久しぶりにそう思えた。

   章子や亜里沙、真珠、健斗 のような子達と人生で関わりあったことがない。片親こそ珍しくないがここまで悲惨な人生を送っている子に出会ったことがない。それがそもそも周りの人から目を背けていることになるのかもしれないが、現時点では知らない。だが知っている子達もいる。現実に自分の目の前にいつもいる。自分は先生と呼ばれる仕事をしているのだから。

    かわいくない子などいない。正直なところ合わないと思う子はいる。考え方や言動がどうしても理解できない子もいる。ただそれは自分がその子と同じ土俵にたってしまっているからだと気付いた。同じ土俵でその子に言われることに傷ついてしまっているからだと。

    “先生”はそうじゃないのだ。先生は同じ土俵にたってはいけない。同じ目線になるように同じ方向を見ることはあっても、導かなければならない。同じ土俵にたって、子どもの言うことに傷ついて「なんて口の利き方をするんだ!」と怒っている場合ではない。【なぜそんな口の利き方をするようになってしまったのか】を考え、場合によっては止めるように話をしていかないといけない。

    最近の私にはその視点が掛けていた。自分が傷つけられていると思い込んで、落ち込んで、話を聞かない子どもたちの理由も考えずに自分の力量不足だと落ち込むだけでその先を何も考えていなかった。どうすればいいかなんて考えずに、いつものお決まりの悲劇のヒロインを気取っていた。

   私が‘’先生”として、‘’大人”として、子どもたちにしてあげられることはなんだろうと考え直すきっかけになった。自分が見ている子どもたちだけではなく、近所のこどもたちに、街中ですれ違う子どもたちに、私は何をしてあげられるのだろうか。もし私に子どもができたら、私は子どもに何をしてあげられるだろうか。一生自分の身に不幸がふりかからないと思い込んで過ごしてしまわないだろうか。

    この本手に取ったのが今でよかった。自分が子どもの頃であったら、世の中の大人を憎むばかりだったかもしれない。世の中にはこんな酷いことをする大人が平気でいるのだと怯えるばかりだったかもしれない。今、体感ではまだ大人になりきれていないけど、世間では私はとっくに大人として扱われる年齢で、大人でないとおかしい年齢で、そんな今この本を読めたことで自分が子どもたちを助ける側の大人になるんだという自覚をもてた気がする。

    だいそれたことは出来ないけれど、とりあえず次に仕事にいったら休みの間の出来事を子どもたちに聞いてみようと思う。出歩きにくい昨今、休みの日はどうやって過ごしたのか。先生は本を読んでいたよと伝えてみよう。

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