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『ビーチ・バム』詩人の推敲物語

いつか俺は世界を飲み込む
その時は全員おっ死ねばいい

ムーンドッグが14歳の時に書いた詩

劇場公開時に二度観に行った『ビーチバム まじめに不真面目』を、この原稿を書くにあたって再見。詩人が登場する映画は貴重だ。すべてを愛でなければならないくらいの気持ちでいる。そのなかでもこの映画は、俺に深い感動をもたらした。主人公で詩人のムーンドッグは常に生の歓びに充ち満ちていて、それは妻の死をきっかけにだんだん死を遠ざけるための手段に変わっていく・・・
と見せかけて!
これは生の歓びでしかないのだという圧倒的肯定。眩しいよ、俺はこうありたい。涙をこぼすところを見せないムーンドッグの涙の軌跡を指でなぞりながらTVを見つめている。

すると何回か観て、巻き戻したりしないと気づかないことが明らかになってくる。これは推敲の物語だ。俺は詩を書くとき、推敲をとても大切にしている。だからこのムーンドッグによる推敲のことを書いてみることにした。 冒頭でムーンドッグが「今 取り組んでいる新作を発表させてくれ」と言い朗読したのは「ゆうべ」という詩。

ハバナで君を思いながら眠りについた
君を思ってた
午前4時に目が覚めて便所に行き
ムスコを見た
愛しさで胸がいっぱいになったよ
お前は今日2回
君の中に入ったんだなって
美しい気分だった

「ゆうべ」ムーンドッグ

それが物語終盤、詩集は出版され、とある授賞式でムーンドッグはこんなふうに朗読している。

ハバナで君を思いながら眠りにつく
さっき小便をして
ペニスを見下ろし
愛しくなった
こいつは今日2回
君の中に入ったんだ
美しい気分だ

「美しい詩」ムーンドッグ

まず詩の推敲において、短くなるのは良いことである。余分な表現をそぎ落として、本質へと向かっていく。その行為において言葉が増えているのだとしたら、推敲前の詩は、詩と呼べるものではなかったのかもしれない。ただの断片だ。詩を推敲するには、一旦詩を完成させなければならないと俺は考えている。詩を書くことを終わらせなければ見えないものがある。

詩の題名の違いはひとまず置いておき、詩の内容に入っていくと、時系列が変わっている。「ゆうべ」では「君を思いながら眠りについた」とあるが、「美しい詩」では「君を思いながら眠りにつく」となっている。寝たか寝ていないか、ここの差異が前提としてある。「君を思っていた」は消え、便所に行ってムスコを見て愛しくて胸がいっぱいになった「ゆうべ」と、さっき小便をしてペニスを見下ろし愛しくなったのを振り返る「美しい詩」では、愛しくなるタイミングが変わっている。「さっき」と、詩のなかで思い出すことによって次に描かれる出来事が強調される。それが「こいつは今日2回 君の中に入ったんだ」ということ。そして「美しい気分だ」となる。「ゆうべ」では「お前は今日2回 君の中に入ったんだなって」となり、こちらでは「だなって」の後「美しい気分だった」とあり、最後に振り返っている。

午前4時に便所に行き、ムスコを見たときにセックスを振り返りあの時間が美しい気分だったと思う「ゆうべ」と、眠りにつくときに、便所に行った際の自分のペニスを愛しく思ったことを振り返りながら美しい気分になる「美しい詩」では、詩をぱっと見たところあまり変わらないようにも見えるが実際は全然違う。これが推敲の力だ。タイトルについては前述したように、「ゆうべ」は午前4時の自分から見たセックスした時間が由来であり、「美しい詩」は眠りにつくときに美しい気分になったからだろう。推敲により、描く時間を変えることでタイトルも受け取り方も何もかも変わる。

ムーンドッグが、なぜこの推敲に至ったのか。それは妻の死が影響しているのかもしれない。その時々の熱情にかられて行動していたムーンドッグは、ゆうべのこと、ぐらいの解像度でしか物事を見通せなかったのではないか。それが妻の死によって、資産も凍結され、詩を書くための日々を過ごすようになった結果、今日というその日のことをゆっくりと振り返られるようになり、1日の終わり、眠りにつく前に、美しい気分になれるようになったムーンドッグの姿がこの推敲から浮かび上がってくる。ああ、俺もそうやって眠りたい。

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