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好きな詩人の話

大学で文学の授業を取っていて、「好きな詩人を一人取り上げてレポートを書く」という課題があった。私はそのおかげで、尾形亀之助という好きな詩人ができた。

好きな詩人ができるということがこんなに嬉しいことだと思わなかった。尾形亀之助。彼の生き様がたまらなく好きで、そんな彼の人生が凝縮された彼の詩が好き。
会ったこともないけれど、私が思う尾形亀之助は、静かに、ただそこに居る感じ。「静」なのに、その身体には沸騰しそうなくらい熱いものがふつふつと流れている。その熱を、詩の中で垣間見ることができる。それが、彼を不動たらしめているものだと思う。囚われていないようで、ものすごく囚われている。かと思えば、原子のように自由に飛び回る。けれど不動。自由に動き回っているのに動けない。
最後は、空気中に還るようにすうっと流れていく。誰にも理解されない人。そもそも、彼は誰かに理解してもらいたかっただろうか?執着が全くないように思える不思議な、さらさらとしていて、でもマグマのように熱くどろどろしているようにも見える、どこか不器用で、まるでこの世界に収まりきっていない。ある意味、潔くはみ出し者。大自然のように大きく清らかな人。かっこいいな。

備忘録として好きな詩を残しておきたい。

スライド2

夜が糸のように細長くなって、その先っぽに電車が結えついている。
言葉だけでは意味がわからないのに、「夜が糸のように細長くなって、その先っぽに電車が結えつく」イメージがなんとなくできるから不思議。「考え」よりもっと奥のイメージが、するするっと器用に引き出されて、あぁそうそう、これこれ、というような感覚になる。そしてこの感覚が自分のものだけではなくみんなに共通している普遍さのようなものも感じさせるから本当にすごい。

スライド1

言葉が崩壊して、音になっている。音なんだけれど、なんとなく様子が掴める。意味ある言葉を一旦全部崩して音にして、ゆるくつなぎ合わせるのがすごい。

スライド3

大きな戦とあるタイトルと、中身がうまく釣り合わない。ただただ日常を日常として保存するということが川の水が流れるみたいに自然に行われている。限りなくフラットに、目に写るものを細心の注意を払って掬い取ってみているのがすごい。


スライド5

この時代にこんなこと言えるの、すごいなぁ。

スライド6

尾形亀之助は、ものをいろんな角度から捉えて、自分の眼を疑い、何度でも世界を構築することのできる胆力のある人。
それでいて静かで、何も言わない。最期まで不動を貫く。
この溢れ出る、只者ではなさのようなものはなんなんだろう。
尾形亀之助が見せてくれる本質が私は大好き!




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