【ネタバレ注意】「舞台 やがて君になる」感想備忘録

開演前

 初の2.5次元舞台鑑賞。
 正直最初は不安がなかったと言えば嘘になる。そもそも三次元化はこれまでほとんど嗜んでこず、またどちらかというと好みでもないため、漫画やアニメの実写化にはあまり期待しないようにしてきた。


 果たして原作のどこまでを舞台化するのだろうか。アニメ化した水族館デートまでだろうか。そんなことを考えながら首都・東京は新宿の地に降り立った5月5日端午の節句正午過ぎ。


 都会の人の多さに辟易としながらGoogleマップと公式サイトのアクセスを頼りに会場到着。既に開場。
 まずグッズ販売の列に並ぶ。事前に作成した購入リストにもトップに上げていたTシャツ全サイズとクリアファイルA(原作者描き下ろしイラスト)が早々に売り切れ。ガーン。その後の公演でもこの2種とさらにパンフレットが毎回完売していることから、一公演ごとに用意されている数がそれほど多くなかったのだろう。Tシャツは紺地に描き下ろしイラストがシルエットで描かれており、すごく素敵なデザイン。なおその日の夜、TシャツとクリアファイルAは全公演終了後に通販で受注生産を行うことが発表されたことからも、人気の高さがうかがえる。


幕開け

 まず前提として、先にも述べたように個人的にはマンガ・アニメの実写化には期待よりも不安の方が大きく、2.5次元舞台に至っては初鑑賞となるため、一体どうなるだろうかという心配の気持ちが強かった。そのため特に原作との違いがどうしても気になってしまい、この後の感想でもついつい原作との比較をしてしまっている。


 しかしここで断っておきたいのは、それは決して(特に今回の舞台化にあたっては)否定的なものではなく、むしろ「舞台ならでは」の演出、舞台「やがて君になる」の特徴を記すための比較であり、どちらが「上」だとかどちらが「本当」だとかどちらに「優劣」をつけるといった意図は一切ないことを何卒ご承知おきいただきたい。

 そもそも表現方法が異なる以上、全く同じである事は、アニメ化であっても不可能であり、また全く同じものであるなら、アニメ化・実写化する意味はないとさえ思う。それぞれの表現方法の特性を活かした表現、それが出来ているかどうかがメディアミックスの正否の判断基準の一つであるという個人的思考、素人考え。
 前置きが長くなってしまった。以下ネタバレ有りのためご注意を。









 開場。前方上手側の席。アシンメトリーの段差と窓のような吊り下げ。
 開幕。原作第一話と同じ、侑の独白から始まる。侑がそこにいた。

 教室の場面。シーンの切り替えの早さは舞台ならでは。

 他のキャラにも言えることだが、それぞれキャラがそのまま舞台の上にいて、アニメと声が違うということにも違和感が無く、三次元化の不安なんてもうこの時点ですっかりなくなってしまっていた。


 普段、コスプレを見る時にも思うことだが、写真では違和感を覚えることが多いのに生で見るとたとえ写真よりクオリティが低くても違和感なく受け入れられる。生の強さがある。

 侑のキャラクターが原作より明るくエネルギッシュだった。主役で最も出番も台詞も多く、ただでさえ全編が会話劇で大きく盛り上がるシーンの少ない本作で落ち着いた雰囲気のままだと途中でだれる恐れもあるので、あえてそのような演技になったのだろうかと推測。ただしシリアスな場面だとガラッと雰囲気が変わり、演技の幅広さを見せられた。

 原作7巻の後書きにもあった、「クラウド」理論で言うと、漫画版ではテンション抑えめで、アニメでは表情豊か、舞台は感情表現豊かに表現されていると言うべきか。

 沙弥香の演技が品のいいお嬢様テイスト。
 「どうしてそれを伝えるのが私じゃなかった」のシーン。漫画ほどの悔しさというより悲しさの演技だった。漫画でのあのさやかの表情が好き。ここと「そこまで惨めになれないわよ」でさやか株縛上げだったから。

 「君のこと好きになりそう」からのオープニング。この入りは何度見ても鳥肌。エモい。

 踏切のキスシーン。キスシーンは全部で6回あるけれど、どれも本当にしているようで、たぶんラストのは本当にしているようにしか見えなかった。それくらい顔が近い。たぶん寸止めだけど、何回かは触れ合っているはず。やったぜ。

2年生二人のストッキングからソックスへの変化で季節の移り変わりを表現しているのが、細かくてよかった。

 理子と都の大人百合最高でした!!! 舞台オリジナルの頬つつきでイチャイチャ度がとどまるところを知らない。部屋でのあすなろ抱きからのおやすみのキス、麗しかった……

 堂島と槙の無音声演技、イチャイチャしてません? この二人イチャイチャしてません!?

 槙君の独壇場。舞台で見るとまた不思議な感覚。
 我々が今そのポジションにいるんですよ!

「なんだそれ。役者が観客に恋するなんてがっかりだ」のがっかり具合が本当に槙君。槙!!! と何度心の中で叫んだことか。

 ラスト。侑の告白と原作と異なる燈子の「うれしい」について。舞台オリジナル展開。
 2時間で完結させるには、こうするしかなかっただろう。しかしそれをどう矛盾無く再構成したのか。

 原作では「ごめん」
 これは告白の断りではなく今まで「私を好きにならないで」と言い続け、侑に嘘を吐かせ続けたことへの謝罪だった。また、すぐには侑の告白を受け入れられずにいる。
 それは「好きが怖い」から。燈子にとって「好き」とは「こんなあなたが好き」つまり「そうでなくなれば好きじゃなくなる」。だから「好き」を持たない侑に依存した。そんな侑に「好き」と言って、「変わらないで」と言い続けて。変わることを原作燈子は恐れていた。

 しかし舞台燈子は「変わってもいい」と言う。また「好き」=「変わらないで」の文脈が舞台では省略されている。故に矛盾無く告白を受け入れることができたのだろう。

 終演直後、周囲から聞こえてきたのは「こっちの方が丸く収まっていたね」という声。
 確かにそうだろう。原作はさらにここからこじれている。「いいか、もう。」はあまりに切なすぎる。だから原作展開よりこちらの方が受け入れやすいという人もいるだろう。
 私? こじれるの、大好きなので()

 あまりに完成度が高く、重厚な舞台だったので予定していなかった夜公演も当日券購入。抽選漏れたらどうしようかと思ったが、運が良かった。ホテルでゆっくりしていたら危ないところだった。

 2回目は前から2列目の下手側の見切れ席。加えて前の席に座っていた人の背が高く舞台が隠れてしまったが、1回目では見えなかった表情やより近くで役者さんが見られてよかった。


 翌日のアフタートークありの回も含めて合計3回観劇することが出来、リピート特典ももらえることが出来た。

閉幕

 映画やアニメでも同じものを繰り返し、それもこんな短期間に観たのは初めてだった。自分にとって初めてばかりの体験。そして強く思った。
「もっと観たい」
 この後の公演の度にTwitterに流れてくる感想。今回はこうだった。ああだった。よく言われる、舞台に同じものは一つとしてない。

 アドリブ(みやりこのイチャイチャは毎回アドリブだという)
 ハプニング(堂島君のあるポーズがアフタートークで話題になって、その次の公演でアドリブで変えたらそれにこよみがかなり動揺していたとか……観てみたかった!)
 千秋楽まで加えられたという演出の変更

 もちろんDVDは予約した。けれど、それは全14公演の中の1回が記録されているだけに過ぎない。
 これまで本や録画したアニメやゲームなど、繰り返し楽しむことの出来るメディアばかりに触れてきて、最近になって生のライブに手を出すようになったので、そのことをしみじみと痛感している。

 この文章も、その時感じたものを少しでも長くとどめておきたいがための備忘録である。

 とりあえず、原作の読み直しからまた「やが君」世界を浴びることにしよう。

 原作完結巻が11月発売予定で、舞台のDVD発売も同時期。千秋楽とはよく言ったものだ。
 ……泣くのは間違いないな。

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