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容姿を勝手に評価されたら、変顔でお礼をしよう

他人から容姿について言及された経験って、「ない!」って人はいないんじゃないかと思うけど、コンプレックスをあげつらうような、お話にならないハラスメント発言はもとより、

それが言った人には悪意なんてなくて、きっと褒めているつもりだろう言葉も、私は、そうした他者からの勝手な容貌への評価が、健やかな自己肯定感の育成に悪い影響を及ぼすと思っている。


私自身、他者からの評価にがんじがらめになって生きてきた人間で、今も自分の見た目に、人から褒められないと自信が持てなくなってしまっているし、自分で自分にOKを出すことがなかなか難しい状態で、つまり、相当危機的な状況にある。

見た目の美しさってそもそもなんだ?っていう問題に間違った答えをずっと持ってる自覚があるのに、それを変えられないでいる。


その問題についてあれこれ考えたすえ、

初めて会った人や信頼関係もない赤の他人に、「美人」とか、「かわいい」とか、それが褒め言葉だろうがなんだろうが、容姿について何か言われることって、結局は呪いでしかないんじゃなかろうか、と思うにいたった。

もちろん、「美しくない」だとか「ブス」だとか、論外な中傷をしてくる輩は金輪際相手にする必要はないし、

たとえもしそれが気心のしれた仲の良い友人からの言葉だったとしても、
「てめえのご尊顔が100パーセントの完全美だったとして、
私の顔面の造形はお前に0.001ミリも関係がないから安心しろ
(そしてお前のご尊顔は100パーセントの完全美とはほど遠い)」

くらい言ってやっていい案件である。


ともかく、

そういう他者から勝手につけられた評価は積み重なって、しまいには呪いになるものなのではないかと思っている。

なぜなら、自分の身体は自分だけのものであり、他人には関係のないもので、自分だけが「いいなぁ自分」とさえ思えていればそれでいいものだからだ。

そして、それを共有していいと思える相手を選ぶ権利は私たち自身にあって、私たちがどんな顔つきをして、どんな体つきをして、どんな服装を選んだとしても、

それを評価していいのは、自分と、自分が選んだ人間、つまり「どう思う?」と聞きたい相手だけで、それ以外の人間には関係のないことであるはずなのだ。

それが、「あなたはとても美人だから、あなたと仕事ができる人が羨ましい」とか、「脚キレイですね」とか、「目が大きくてかわいい」とか何とか、褒めてるつもりの言葉であっても、
ましてや「スタイルはいいんだけどね」とか、「目がもうちょっと大きければ」とかになってくるとこんなのはもう論外で発言者の人格を否定させてもらうけど、

まずそれらを他人に口に出して言えてしまう時点で、自分の権利を過大評価しているし、そういうことを言われ続けた人間は、自分は他者から容貌をジャッジされる、採点される側(そんな側はない)の存在だと刷り込まれることになる。

どこかのおっさんが、脂の浮いた顔をしながら、女性の見た目についてあれこれ言って平気な顔をしていられるのは、自分が容貌を評価される側(そんな側はない)の人間だと思っていない、つまりある意味で健やかな価値観を育み得られたことが理由だろう。
とはいえ「女の外見は採点していいもの」という誤った認知もあわせて育んじゃっているので甚だ有害だ。

(まっとうな男性はたくさんいるし、すべての中高年男性を一括りにする気は毛頭ないけれど、これまでの人生で、「なぜあなたがそれを言える?」って感想しかわかない一般女性への容姿批評を口にするおっさん(あえて)に、私はたくさん遭遇してしまったのだ)

もちろん、女性に限らず、男性にもそういうことを言われ続けて正しく自己評価できなくなってしまった人がいるだろう。
それでも、女性から男性に向けられる矢印の数と、男性から女性に向けられる矢印の数は世に出回っているコンテンツのその内容を見てもアンバランスな比率であることはある程度明らかだ。

とはいえ、私もこれまでに対女性/男性かかわらず「勝手に他人の外見を評価する」ということをやってしまったことがあるし、気をつけなくてはいけないと思っている。


ないがしろに扱われたように感じた時に、「見た目がイケてないせいだな」とか思っってしまうのは、特に危ないことだと思う。
リスペクトを得るのに、見た目の美醜、しかも他人の価値観ベースのそれが重要って学びをしてしまったら、老いによって失われていく若さと折り合いをつけるのは格段難しくなるだろう。
「劣化」とかいう最低なワードが飛び交う世の中なんだから。

人に見た目を評価されることが当たり前であるという刷り込みが強い人ほど、人生はアンコントローラブルで辛いものになってしまうんじゃないだろうか。

丸腰でマーキング的容姿査定を受け続けることが、自分の価値観で正しく自己肯定することのハードルをがぜん高くしてしまうのだ。

それはもう生きづらさと直結する。


自分だけのものである顔面含めた生まれつきの身体的特徴と、本来なんら関係のないはずの人間から、そいつの価値観による査定を一方的に押し付けられること、そしてそれが当然のことだと信じさせられてきたことが、私たちから奪っていったものは小さくない。

自衛は不可欠だ。


そこで私は、他人から、自分の見た目について、何か知らないけど勝手な査定を受けてしまった時には、変顔でお礼を言うことをおすすめする。

独創的な顔面が、あなたの美しさへの一元的な評価を拒否し、あなたの顔面がその人のためにあるわけでないことを表現する。
その人が悪気なく褒めてくれている場合には、その好意に対してのサービスにもなる。

知らんけど。

その評価が万が一にでも中傷だったら、変顔に加えて「聞いてない」とでも言っておくといいと思う。


ていうか、別に変顔じゃなくてもいいんだけど、なんか突拍子もない顔をしておくと、呪いが蓄積していってしまうことを防げる。

かもしれない。



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