暴力的なゲームは人を暴力的にするか

よく少年による殺人事件が起きたときなどに、加害者が暴力的なコンテンツを含むゲームを使用していたという報道がなされることがある。そこで今回は、暴力的なゲームを規制するべきかどうかについて意見を述べたいと思う。

まず、ゲームというコンテンツにおける表現の自由を尊重するという意味で、暴力的なゲームを規制するべきではないと思う。ゲームが悪いのではなく、扱う人が悪いという論理だ。ただ、ゲームで見た暴力行為がプレーヤーの脳裏に焼き付いていないか、影響していないかといえば、全くゼロではないだろう。

では、どうすればいいのか。何が1番の原因なのか。

私は、そのゲームへの依存が諸悪の根源であると考える。暴力的なゲームをプレイしている人のほとんどは、普段から人を殴ったりする人ではない。なぜなら現実との区別がつくからだ。しかし、毎日8時間とプレイすれば、どうだろうか。コミュニケーション学におけるCultivation Theoryによると、長期間同じテレビやゲームに浸っていると、その中の文化が自分自身の文化となり、現実を歪めることがあるという。実際に暴力的なゲームに影響を受けて現実で暴力行為をはたらいた人の中には、そういう人が多いのではないだろうか。

よって私は暴力的ゲームへの依存が問題であると考える。こうなってくると、お酒やドラッグも同じ類いの問題だ。

ジョハン・ハリがTED Talksで、ポルトガルにおけるドラッグ依存症への政策の成功例とそれを証明した心理学実験が紹介されていた。それは、依存者へ罰を与えることをやめ、治すための薬を配り、さらにドラッグ以外の社会的サポートを手厚くすることだった。実験では、水とドラッグの入った水だとラットはただの水を選ばないが、他にもたくさんおもちゃを用意した場合、ドラッグ入りの水をたまに選ぶことがあっても、それに依存することはなかったという。

依存は本人にも周りの人にも不幸である。だからこそ、社会として、何かに依存せざるを得ない状況を作り出さないようにできないだろうか。

また今度、何がそういう状況を生み出すのか、また、具体的な解決策について考えていきたいと思う。