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日々是洗濯。明日は我が身。

今日もまた、エアコンの効いた部屋で一人夕食を食べながら、テレビの向こうに映るあの小さな民主主義の国が、必死に戦う姿を目にし、自然と涙が出てきてしまった。

もう国ではないのか。もともと国ではなかったのか。21世紀という時代に、こんなにも不条理な映像を見ることになるとは思ってもいなかった。こんなにも民主主義とは脆弱なものだったとは…  同世代の香港民主活動家(デモシスト)たちがテレビに映るたび、自分の境遇のありがたさを噛みしめる。当たり前の平和に溺れ、一人一人の自由が保障された社会の稀有さを忘れてしまってはいないか。

時々考えるのは、もし自分が彼ら彼女ら香港のデモシストの一員だったらということ。身体の自由を侵してまで、民主主義を守ろうと行動し続けることが、果たして自分にできるだろうか。面倒なことに傾倒するならと軽々一党体制に身を委ねてしまうのか。こんなに民主主義を希求しているのに、実際の立場になったらと考えたとき、答えがすぐには出ない。

貿易戦争に端を発した米中関係の悪化は、世界を新たなイデオロギーの対立へと誘っていくように見える。このコロナ禍にも、各国のナショナリズムは浮き彫りになった。自由はお金では買えないが、少し目を離した隙にすっといなくなってしまうものである。自分の自由と権利を守るために、常に監視の目を光らせておくことは、この混沌とした時代の中で唯一確かなことだ。権利という(今のところ)ふかふかなベッドの上でスヤスヤと眠っている場合ではない。布団がいつの間にか傷んでしまったなんてことのないように、定期的に洗濯をし、太陽の光に当てることでその寝心地のよさは保たれる。布団の手入れは大変だ。しかし、洗い続けなければならない。対岸の騒ぎだと思っていたら、大間違い、明日は我が身だ。