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大切な人の応援を受けとる ②応援を表現する形

応援する時や受けとる時に、心がざわっとするなら、大事なサインかもしれません

応援を表現する形っていろいろです。
クラウドファンディングの出資やSNSの「いいね」は、数値としてみやすいものの代表。

一方で、たった一言の応援が沁みることも、ただ手をかしてくれるのが嬉しいこともあります。

お子さんがいたり、仕事でメンターリングをしたことのあったりする方なら、何も言わず、手を出さずに見守る応援の力も、知っているのではないでしょうか。

そんなことは百も承知なのに、他者との間に行き交う応援をめぐって、ざわつく感情はどこから来るのか・・・


応援は「Yes」ではない

応援というと、何かの形で、相手の言葉や行動に「賛成です!」を表明することだと考える人もいるかもしれません。
賛同がほしくなるのが、私たちでもあります。

でも、その人を応援することと、意見や行動に賛同することはちがうと、私は考えています。

その人としては肯定しながら「No」を言うこと、やっていることや意見に対しては違うスタンスです!というのも応援の形。

このことを私に教えてくれた、忘れられない応援があります。

大舞台となるプレゼンの内容を相談したら
「それはちがうと思うよ!はなえちゃん!」
と言ってくれた友人の言葉。

仕事を辞める不安を相談したら
「まあ、自分で決めたことの結果は、自分で引き受けるしかないよな 笑」
とすっぱり言い切ってくれた先輩。

「はなちゃんのやりたいことには、何も言わないから、パパにも何も言わないで。したいようにするから」
と言ってくれた父。(↑前半が重要です)

どれも、私の意志や行動への賛同でも、その人基準での判断でもなく、ただ「あなたのことを応援しますよ!」というメッセージでした。

応援は「好き」に似ている

応援は等価交換ではない、そして、高きから低きに流れるものでもないなあ、と思います。

「この応援をあげたから、これがかえってくるだろう」という期待は、確信があってもまあ外れるし、
「応援してあげよう」という上から目線は、応援のエネルギーを曇らせます。

恋愛の「好き」と似ているかもしれません。

自分が差し出した「好き」は、一方通行で終わることも、重すぎて受けとってもらえないこともある

期待とはだいぶちがう形で返ってきて、戸惑ったり、「これだけしてあげたのに!」と、内心で怒ったり・・・

一見、同じ形で返ってきても、実は全然ちがう色合いのこともあります。

結局、自分がコントロールできるのは、自分から出ていく応援の形と、応援の受けとり方だけ。

ほんとはどんな応援が欲しいのか

いつも誰かの応援をしたい人、大切な人の味方でいたい人ほど、応援をめぐって、怒りや悲しみでざわつくことが多いかもしれません。

そのざわっとする心の奥底には、本当はどんな願いや悲しみがあったのでしょうか?

自分が本当にほしい応援の形、応援してほしい人、それはなぜなのかを言葉にすることは、何より自分を、ざわざわから解放してくれます。

心の水底に沈殿しているのは、不安や怒り、嫉妬や劣等感、孤独といった感情のどれか、または混ざり合ったものなのではないかなと、私自身の体験からも思います。(にんげんだもの!)

こういうネガティブな感情は、持っていたくない、見つめたくないものかもしれません。
でも、まずはそこにいるのを知ってあげること、そして、自分の感情として、抱きかかえてあげることは、とっても大事。

そこまで行きついたら、さらにダイビングして、心の水底をのぞいてみると…自分がほしかった応援の姿があるはずです。

そしてそれは
あなたが、ほんとは純度100%で人に送りたい応援でもあるのではないでしょうか。


*おまけ*
こういう時、私は自分だと表面的にさらっと行きがちなので、メンターやコーチに一緒に見てもらいます。

というのも、表層だけでモヤモヤを整理したつもりになると、「うん、私はこれでいい!こういう人はNG!」と自分を正当化したり、「私はこういう場合はこうなんだ」ともっともらしい意味づけ(言い訳)をして、終わり!

ざわついた水の濁りがいったん底に沈んだだけで
またことあるごとに、巻き上がって心を曇らせるからです(^_^;)

マインドマップや内観ノートに書き出すのもいいのですが、大事なことほど、自分だけで見ないこと、信頼できる人に頼ることを、私はおすすめしたいです。
お友だちでもいいですし、信頼できる専門家(セラピストやライフコーチなど)に付いてもらうと、土台から整います。

自分に合った、心の奥の見つめ方や浄化方法を持っておくことは、誰かを本気で応援したい人や深く生きたい人ほど生命線だよー、とお伝えしたいです。


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