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わたしの演技術③(芝居が上手いはどこで判断する?)

あの人は芝居がうまい、あの人は芝居が下手だ、下手だけど存在感がある、うまいけど魅力的じゃないとかって演劇やってるとよく聞くのですが、その判断基準ってめちゃくちゃ曖昧なんじゃないかと思っているのです。

芝居が、演技がうまい下手の判断をわたしはどこでしているのかというのを言語化してみました。

演技をする上での基礎

演技の基礎中の基礎ってなんなんだろう、と考えたときに、
演劇以外でもよく耳にすることのある「いま、ここにいること」なんだと思うのです。
これは演技を、というか人間として生きている以上この先ずーっと見つめ続けることな気がする。

「いま、ここにいること」ってすごく曖昧で感覚的だから「いま、ここにいよう」と思っても絶対できない笑
じゃあ「いま、ここにいること」ができているのはどういうことかというと、
相手役や空間からの影響を受け、自分の体が変化し続けることを許すことができているかどうか。
なのだとわたしは思っていてそういう体でいるにはどうしたらいいかを探求し続けることが、
演技の基礎を磨くコツだと思います。

「いま、ここにいること」に関しては技術でもあるし、人としての在り方でもあるので、また別の記事で詳しく書こうと思っています。

ただ、この「いま、ここにいること」が演劇で一番大事だよね、これさえできれば演技できてるよねって風潮があるのではないかと思っていて、それには疑問を感じます。

じゃあこの基礎の上に何が積み重なっていれば演技が上手いとわたしは判断しているのかをまとめてみました。

①戯曲の世界を正確に、そして魅力的に体現するために、
戯曲に書かれている登場人物たちの行動を明確にし、実行できているかどうか。
②その行動の種類が多彩であるかどうか。
③リズムやテンポを変幻自在に操れるかどうか。

こ、この人下手だなぁーと思ってしまう演技って、
目的に対する行動が一種類、多くて二種類の人が多い気がするのです。
ずーっと押しやるで芝居しているとか、
自然体に見えるんだけど、実は受け流す一本ヤリで戦ってるなーって人とか。

よく30分間、最悪な場合は2時間、セリフは全部違うはずなのに同じシーンを繰り返し見させられている・・・ような芝居見たことありませんか?
それは、出演している俳優さんたちの行動の選択の種類がほとんどないと考えていいと思います。

逆にナショナルシアターライブなんかだと、短いシーンでも繰り出す行動の種類の多彩さに驚かされます。そうするとこの俳優さん、上手いー♡って感じるんだと思うのです。

最後に・・・

「いま、ここにいる」というどちらかと言えば、人としての在り方の
すばらしさと、これまで書いてきたもののような明確な技術、両方そろってこそわたしたちは演技がうまい、と判断できるのではないかと思っています。
その基準がしっかりあると、わたしたち自身も何を目指せばいいのか、
自分になんの技術が足りないのかを判断しやすいし、
お客さんとしても芝居を見る基準を「有名な人が出ているから」ではなく、芝居の上手さを楽しんでもらえるようになってもらえることを願って。

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