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天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

阿倍仲麻呂

天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも

(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)

 大空の向こうを眺めると、春日にある三笠の山が広がっているのが私には見える。今夜の月は、出発の時見たあの月だなあ。

天の原…大空。原は広いところ。海原っていう言葉もありますね
さく…遠く離す
春日…奈良の地名
三笠の山…奈良の山
かも…詠嘆表現

望郷の念が切ない歌。唐の地から帰れる時がやっと来て、日本に向けて出発する際に送別会が開かれ、この歌を詠んだそうです。しかし、阿倍仲麻呂さんは結局日本に帰って来れなかったということ。いつこの歌が日本に伝わったのでしょうか。なんともかわいそうで、この歌を伝えずにはいられなかった多くの人々の思いも詰まっていそうです。「ふりさけ」という言葉の音が急迫で、声に出して詠むと胸に何かがこみ上げてきて息が詰まります。

春日という地名や三笠山(御蓋山)はまだ奈良にあるので、当時の都から遣唐使として唐の地に渡ったのだろうなという想像をしています。

遣唐使は春日でその出発をお祈りしてもらい勇んで出かけました。

春日にして神を祭る日に、藤原太后の作ります御歌一首
即ち入唐大使藤原朝臣清河に賜ふ

大船に真楫しじ貫きこの吾子を唐国へ遣る斎へ神たち

(おほぶねに まかぢしじぬき このあこを からくにへやる いわえかみたち)

という光明皇后の歌がアツすぎます。

春日で神を祀る日に藤原太后のおつくりになったお歌一首。太后の甥であった入唐大使藤原朝臣清河にお贈りになりました。

大船に楫を隙間なくしっかりと取り付けて、この子を唐の国へ送り出します!神々よ、どうか守ってください!!

「斎へ神たち」、力強いです。
光明皇后は、お書きになった文字も残っていて、その文字を見ているだけでも圧倒される方ですが、ご本人もさぞかし神がかっていたことだろうと思います。ポジティブなエネルギーしか感じません。

阿倍仲麻呂

出典 古今和歌集、百人一首7番歌

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