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かけがえのない友人たちへ

私の40年あまりの人生の中で、最も誇れること。
それは、友人関係に恵まれたことだ。

学生時代、アルバイト仲間、職場の同僚、趣味関連、行きつけだった飲み屋の常連さん達。
もちろん、今は音信不通になってしまった人、コロナ禍によって疎遠になってしまった人も多くいる。

そんな中でも、中学時代のクラスメイト・高校時代の部活動の仲間は、各々の環境の変動の中でも、変わらぬ友人関係が続いている。

中学時代からのクラスメイト

中学校での3年間、ずっと同じクラスだったクラスメイトの3人+私。
性格、好み、趣味もばらばらだったが、中学時代は他愛のないことで毎日爆笑していた。
歳を重ねるにつれて、物理的な距離も離れ、それぞれの生活環境も大きく変化したが、集合すると不思議と心理的な距離は全く感じない。
4人の共通点は、【適度な距離感を保つ】こと。
相手が深く触れられたくない部分を察して、深く追求しない。
その距離感が本当に心地良いのである。

また、3人の内の1人に言われた言葉が、その心地よい関係性の下支えになっている。

中学時代に一度だけ、仲間内から無視されたことがあった。
関係していたのは、仲の良いクラスメイト2人+別のクラスメイト1人+私。
無視された理由は、別のクラスメイトが他の2人に私の悪口を吹き込んだのだ。その悪口の内容については、全く身に覚えがなかった。

仲の良いクラスメイトのうち1人は、別のクラスメイトを無下にできず、私と距離を置いた。しかし、もう1人は普段通り接してくれた。

無視が解かれた後に、その1人に「なぜ無視しなかったのか?」と聞いてみた。すると彼女は、
「私はあなたを信じているから、あなたから聞いたことしか信じない。」
と答えたのだ。

絶対的な味方がいるということの心強さ、そして、私もこのクラスメイトに対して誠実でいなければならない、と強く感じた。

彼女に対して感じたその想いは、今も変わらない。

高校時代の部活動仲間

私は、高校時代の3年間、バスケットボール部のマネージャーをしていた。
厳しい部活で、365日中、350日くらいは部活動をしており、特に女子部は放課後も一緒に行動することが多く、非常に長い時間を共に過ごした。

高校卒業後、大学進学、海外留学、都内への引っ越しなど、長い時間を共有した仲間たちは、見事にばらばらに散っていったが、部活動のOB会などもあり、定期的に再会していた。

ある時、仲間の1人が怪しげな商法にはまって、部活動関連の人を頻繁に勧誘しているということが発覚した。

後輩にまで被害が及んでいたため、同期で対応を話し合った。
その際に、仲間の一人がこう言った。
「後輩にまで勧誘するなんて許せない。でも●●は私たちの仲間だし、見捨てることは絶対に出来ないから、この思いを率直に伝えよう。それでも理解してもらえないなら、残念ながら関係性はここまでだね。」

仲間だからこそ、見て見ぬふりをせずに受け入れがたい旨を突き付ける。
目を覚ましてくれないのなら、友人関係を終わらせる。

将来的な関係を継続したいからこその厳しい対応に対して、私を含め、他の仲間も納得・本人と話し合った。

結果的に、「私のことを本当に考えてくれてありがとう。」と言って目を覚ましてくれた。

ただの仲良しグループではなく、誤った方向に行きそうな仲間がいれば、時には厳しくお互いが方向を正す。
心を痛める様な出来事があれば、一緒に涙を流す。
体育会系の熱い友人関係が、この仲間達との間には存在しているのだ。

絶対的な味方がいることの心強さ

2つの友人関係に共通しているのは、何かあった時に【絶対的な味方でいてくれる仲間】であるということだ。

どんな状況でも信頼してくれる中学時代からのクラスメイト。
友達だからこそ、時には厳しく正し、時には熱く泣いてくれる高校時代の部活動仲間。

この友人たちのおかげで、〈友達〉に対して深い心理的安全性を感じられている。

たとえ将来、深い悲しみ、怒り、後悔に襲われたとしても、家族+この様な友人たちがいてくれることは、非常に心強い。

この友人関係は、私のかけがえのない財産である。


#やさしさを感じた言葉

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